ライシーアム運動
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1826年、鉱物学者であったジョサイア・ホルブルックが、マサチューセッツ州ミルベリーで、科学と実用知識の交流を目的に、おもに労働者階級を対象とし、「相互教授 (mutual instruction)」を理念とした教育運動を始めた[1][2]。ホルブルックは、1829年に、活動の拠点となるライシーアムの一層の普及を目指してパンフレット『アメリカン・ライシーアム、すなわち学校改善と実用知識普及のための協会 (American Lyceum, or Society for the Improvement of Schools, and Diffusion of Useful Knowledge)』を発表した[2]。1831年には全国組織「American Lyceum」が発足し、1834年の時点で各地に3000以上の組織が存在していた[1]。
最盛期
ライシーアム運動は、南北戦争前の時期に、その最盛期を迎えた。公的なライシーアム組織が、各地に設けられ、フロリダやデトロイトにも組織が設けられた。超越論の立場にあったラルフ・ワルド・エマーソンやヘンリー・デイヴィッド・ソローはこの運動を支持し、各地で行われたライシーアムの集会で何度も講演を行なった。若き日のエイブラハム・リンカーンは、イリノイ州スプリングフィールドのライシーアムで講演を行なっていた[3]。
脚注
参考文献
- Bode, The American Lyceum: Town Meeting
- Goldsmith, Barbara, Other Powers, Alfred A. Knopf, Inc., 1998.
- Stevens, "Science, Culture, and Morality." 69-83
- Strother, French (September 1912). “The Great American Forum: Chautauqua and the Chautauquas in Summer and the Lyceum In Winter”. The World's Work: A History of Our Time XXIV: 551–564 2009年7月10日閲覧。.