ラウラ・トスカーノ
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| ラウラ・トスカーノ Laura Toscano | |
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| 生年月日 | 1944年4月1日 |
| 没年月日 | 2009年3月11日(64歳没) |
| 出生地 |
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| 死没地 |
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| 国籍 |
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| 職業 | 脚本家、小説家 |
| ジャンル | 映画、テレビドラマ、ホラー小説、推理小説、ジャッロ |
| 活動期間 | 1963年 - 2009年 |
| 配偶者 | フランコ・マロッタ死別 |
| 主な作品 | |
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脚本 『ナイトチャイルド』(1975) 『地獄のバスターズ』(1978) 『実録マフィア戦争/暗黒の首領』(1985) ″Il maresciallo Rocca″(1996 - 2008) 小説 ″Sul filo del rasoio″(1971) | |
ラウラ・トスカーノ(Laura Toscano、1944年4月1日 - 2009年3月11日)は、イタリアの脚本家、小説家である。
イタリアの映画とTVドラマの脚本家として知られる。日本公開作品は少ないが、イタリアでは重要な脚本家の一人として評価されている。小説家としては主にホラー小説と推理小説を発表し、イタリア大衆文学における「恐怖の女王」と呼ばれた。夫は脚本家、小説家、ドキュメンタリー映画監督のフランコ・マロッタ(Franco Marotta)。
1944年、イタリア王国ジェノヴァ県リグーリア州ジェノヴァで生まれ、その後ローマに移住。ローマ・ラ・サピエンツァ大学で文学とジャーナリズムを学ぶ。
大学に在学中の1963年から、マルコ・ヴィカリオ(Marco Vicario)がプロデュースするペーパーバック怪奇小説の叢書I capolavori della serie KKK, classici dell'orrore(KKKホラー・クラシックス)のためにオカルト・ホラー小説およびサイコ・サスペンス小説の執筆を開始する[1][2]。
KKKホラー・クラシックス叢書は、アントニオ・マルゲリーティ監督のホラー映画『顔のない殺人鬼』(1963)の原作となった小説(マッダレーナ・グイ作)を刊行したことで知られる、イタリアの怪奇小説専門レーベルである[1][3]。この叢書は映画『顔のない眼』(1960)の原作小説などを刊行したフランスの怪奇小説レーベル「アンゴワス叢書」(Angoisse)から触発され、映画製作者マルコ・ヴィカリオと元女優の作家レオニア・チェッリ(Leonia Celli)により1959年に創立[1]。同年にはシチリアの貴族アントニーノ・カンタレッラ(Antonino Cantarella)男爵が同傾向の怪奇小説レーベル「ドラキュラ文庫」(I racconti di Dracula)を設立したことで二つの叢書が競い合った[4][5]。
1963年から1972年まで、トスカーノはKKKホラー・クラシックス叢書で猟奇殺人、吸血鬼、悪霊、魔女、中世の拷問などをテーマに数多くのスリラーを執筆している[6]。イタリアにおけるホラー小説の第一人者とされており、同じくKKK叢書で怪奇小説を書いていたレオニア・チェッリ、マリア・ルイーザ・ピアッツァ(Maria Luisa Piazza)、マッダレーナ・グイ(Maddalena Gui)と並んで「恐怖の女王」と呼ばれた[7]。
KKKホラー・クラシックス叢書はイタリア人作家の書き下ろし小説を英米仏文学からの翻訳と装っていたため、トスカーノもまた複数のアングロサクソン風ペンネームを使用していた。映画『顔のない殺人鬼』の原作者マッダレーナ・グイが使用していたペンネーム「フランク・ボガート」も、グイが小説家を廃業した際にトスカーノが譲り受けて使用している[8][9][10]。
トスカーノが執筆していたKKKホラー・クラシックス叢書の編集部には、若い頃のダリオ・アルジェントが在籍していた[11][12]。後にアルジェントは映画監督になり「動物三部作」でジャッロと呼ばれるイタリア製スリラー映画のブームを起こすが、トスカーノも同時期(1969~1971年)に、動物の名前を題名に入れたスリラーを何冊か執筆している(『蛇の穴』『コブラの咬み跡』『九尾の猫』『かまきり』『サソリの刺傷』『笑うハイエナ』『肩の上の狂猿』)。トスカーノの動物スリラー第一作″La fossa dei serpenti″(蛇の穴)は精神病院を舞台にしたサイコ・スリラーであり、マリオ・バーヴァとロバート・ブロックからの影響が指摘される[13]。また、アルジェントの『わたしは目撃者』(1970)と同じ原題を持つ″Il gatto a 9 code″(九尾の猫)もあるが、小説の内容は映画とは関係がない。
ダリオ・アルジェントの『歓びの毒牙』(1969)から内容的に影響を受けたと見られる″Sul filo del rasoio″(カミソリの刃)はトスカーノが執筆した小説の中で代表作とされている。黒皮手袋と黒いコートを身につけた連続殺人鬼が登場するスリラーであり、アルジェントの影響により映画界で流行したジャッロの典型的なスタイルに則っている[14]。
1969年から1970年にかけての作品のいくつかは、チャールズ・マンソン事件からの影響が指摘されている[15]。1971年の″Il ″college″ della morte″(死の学園)は、ナルシソ・イバニェス・セラドール(Narciso Ibáñez Serrador)監督の『象牙色のアイドル』(1969)からの影響が指摘されている[16]。
私生活では作家フランコ・マロッタと結婚。1969年から1972年まで、KKKホラー・クラシックス叢書で10数冊のホラー小説を夫婦で合作した。
トスカーノが夫マロッタとの合作で執筆したサイコ・スリラー″Parossismo″(発作)をKKKホラー・クラシックスの最高作に推す意見もある。フランスとスイスの境にある山中の民宿で、宿泊客の紳士が森の中に姿を消す。民宿の若い女性が失踪した紳士の荷物を調べると、死体愛好家による連続殺人を綴った手記が発見される。手記の執筆者は隣人が連続殺人鬼であることを知るが、いつしか殺人鬼に共鳴した揚げ句彼を殺害し、自身が第2の殺人鬼になっていく過程が綴られていた。手記の真贋と執筆者の行方をめぐるミステリー仕立てとなっており、イタリア怪奇小説の研究者から高く評価されている[17]。
また、1972年に夫マロッタと合作した″La bambora di cera″(蝋人形)は、同年に公開されたマッシモ・ダラマーノ監督の映画『ソランジェ/残酷なメルヘン』(1972)とテーマ等の共通点が指摘され[18]、後にダラマーノ監督はトスカーノとマロッタにホラー映画『ナイトチャイルド』(1975)の脚本執筆を依頼する。
1968年にアディマロ・サーラ監督の映画″È stato bello amarti″(1968)の脚本を執筆し、助監督もつとめる。その後1973年までサーラ監督作品で脚本と助監督を担当。
1975年にダラマーノ監督のために『ナイトチャイルド』の脚本を、夫フランコ・マロッタと共同で執筆して以降、夫婦共同で映画脚本を書く機会が多くなる。とくにエンツォ・G・カステラーリ監督の戦争アクション映画『地獄のバスターズ』(1978)は高い評価を受け、後にクエンティン・タランティーノ監督『イングロリアス・バスターズ』(2009)の原案となる。また、ダミアーノ・ダミアーニ監督の社会派サスペンス映画『実録マフィア戦争/暗黒の首領』(1985)は、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。
その他にも1970年代から80年代にかけて、ルチオ・フルチ、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、マルコ・ヴィカリオなどイタリアの著名監督に脚本を提供。
80年代末以降はTVドラマの脚本が多くなる。手がけたTVドラマはコメディ、ミステリー、歴史ものなどで、評価が高い作品が多い。特に10年以上に渡り夫婦で脚本を書いたジジ・プロイエッティ主演のユーモア・ミステリー・ドラマ″Il maresciallo Rocca″シリーズ(1996 - 2008)はイタリアで人気が高く、トスカーノはこのドラマのノヴェライズも手がけた。
その他の代表的なTVドラマは以下の通り。
- ″La bugiarda″(1989)
- ″Isabella la ladra″(1989)
- フランチェスカ・デレーラ、マリー・ラフォレ主演のTVシリーズ。
- ″Delitti privati″(1993)
- ″A che punto è la notte″(1994)
- マルチェロ・マストロヤンニ、マリー・ラフォレ主演。
- ″L'avvocato Porta″(1997)
- ″La casa bruciata″(1998)
- オメロ・アントヌッティ主演。
- ″La tassista″(2004)
- ″Angela″(2005)
- ″I figli strappati″(2006)
- 作家フェイ・フォン・ハッセル(Fey von Hassel)の自伝をTVドラマ化。
いずれのドラマもヨーロッパで高く評価された。
夫マロッタとの脚本執筆の傍ら、トスカーノ単独で数冊の推理小説やユーモア小説を発表している。1996年にはモンダドーリ社から刊行した推理小説″Morte di una strega″がTVドラマ化された。
2009年死去。