ラオス内戦
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ラオス内戦 | |
|---|---|
| 戦争:左派共産勢力組織パテート・ラーオとラオス王国政府による内戦である | |
| 年月日:1953年 - 1975年 | |
| 場所: | |
| 結果:パテート・ラーオとベトナム民主共和国側の勝利、共産主義政権(ラオス人民民主共和国)の成立 | |
| 交戦勢力 | |
支援国: | |
| 指導者・指揮官 | |
| 戦力 | |
モン族 30000人 |
|
| 損害 | |
ラオス内戦(ラオスないせん、英: Laotian Civil War、ラーオ語: ສົງຄາມກາງເມືອງລາວ、1953年 - 1975年)は、第二次インドシナ戦争の中の戦いの一つで、左派パテート・ラーオとラオス王国政府による内戦である。左翼と右翼による政治闘争を越え、冷戦中の大国からの支援を受けた代理戦争に発展した。
ラオスはベトナム戦争の交戦国にとって隠れた戦場となっていた。1953年のフランス・ラオス条約により、ラオスには完全な独立が与えられたが[1]、それから数十年の歴史は、ルアンパバーン王家のスワンナ・プーマおよびコン・レー大尉らの中立派、チャンパーサック王家のブン・ウムおよび軍事クーデターを起こしたプーミ・ノサワン将軍らの右派・革命委員会、ルアンパバーン王家のスパーヌウォンおよび後の首相カイソーンらの左派ネーオ・ラーオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)の三派間の争いによって記録された。連合政府を立てようという幾度にもわたる試みの後、最終的にヴィエンチャンにおいて「三派連合政府」が成立した。
ラオスにおける戦闘には、ラオス区域の支配権を巡って争う北ベトナム、アメリカ、タイおよび南ベトナム、フランスの軍隊が直接的に、あるいは非正規の代理人を通して関与していた。北ベトナム軍は、南ベトナム侵攻の通り道かつ最大の戦場となるホーチミン・ルートを占領した。二番目に大きな戦闘が起こった場所は、ラオス北部のジャール平原およびその周辺であった。
1975年には北ベトナムとパテート・ラーオの勝利が明らかとなるが、それは同年のインドシナ半島における共産勢力の勝利が背景にあった。