ラグビーワールドカップ (女子)
ラグビーユニオンの国際大会
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沿革
1988年以前の女子ラグビーの歴史は「女子ラグビー」を参照。
黎明期
1988年、第1回「女子ヨーロッパラグビーカップ」がフランスのブール=カン=ブレスで開催、フランス、イギリス、イタリア、オランダが参加した[1]。国際アマチュアラグビー連盟(現在のラグビーヨーロッパ)からの公認は得られなかった。
1990年に、ニュージーランドで「1990 Women's World Festival」(1990年世界女子フェスティバル、ラグビー・フェスト)が開催され、初めて結成されたニュージーランド代表のほか、オランダ代表、ソ連代表、アメリカ合衆国代表が出場しトーナメントを行った[2][3][4]。日本の女子チームである レディース全東京A・Bと名古屋レディースも招待された[5][6]。
フランスやニュージーランドでの世界大会の成功により、イギリス女子ラグビー側でも世界大会の開催準備が進む。
第1回大会(1991年)
1991年春、第1回女子ラグビーワールドカップ(1991 Women's Rugby World Cup)が、イギリスのウェールズで開催された[7]。
決勝戦でアメリカ合衆国がイギリスを破り、優勝。大会は商業的には失敗に終わったものの、世論と告知効果では成功を収めた[8]。大会の赤字は、非公式にイングランドラグビー協会によって補填された[9]。
この大会は、女子日本代表として最初の国際試合となる[10][11]。女子日本代表チームは、全額自己負担で、コーチやドクターが帯同せず、選手のみの渡航となった[12]。
第2回大会(1994年)
国際ラグビーフットボール評議会(IRFB、現在のワールドラグビー)は、女子ラグビーワールドカップに対して否定的立場をとった[2]。
一方、女子ラグビーフットボール協会(Rugby Football Union for Women、RFUW)は、新たに結成されたスコットランド女子ラグビー協会の支援を得て、1994年に第2回女子ラグビーワールドカップをスコットランドで開催した[2]。
ニュージーランド、オランダ、イタリア、ドイツが不参加となり、スペインはグループ分けが行われた直後に棄権したため、スコットランド学生チームが代わりに出場した。参加予定だったソ連は崩壊したため、その代わりにロシアとカザフスタンが出場し、日本を含む11か国12チーム(スコットランドは学生チームを含む2チーム出場)で行われた[13][14]。
日本はスウェーデンから1勝を挙げた[15][16]が、4月15日のアメリカ戦では0-121で大敗し、これが女子日本代表チームにとって「最大差敗戦試合」記録となる[16]。
決勝戦でイングランドがアメリカ合衆国を破って優勝。この大会は予選のイングランド対スコットランドの試合に4,000人の観客が、決勝戦には7,000人の観客が来場したことで、経済的成功も収めた[2]。
第3回大会(1998年)
1998年、第3回女子ラグビーワールドカップは、国際ラグビー評議会(IRB、現在のワールドラグビー)公式の大会となった[17]。
書類選考で出場国が決められる際に、日本は「国際試合の資料に乏しい」(「国際試合が少ない」という意味)と指摘され[18][19][20]、出場ができなくなった[18][19]。ワールドラグビーは、当時のことを「出場資格の ”international matches” の解釈に誤解があった」(「4年間海外遠征が無かったことのみを判断材料にし、4年間に2回 海外チームが来日して対戦した実績を見落とした」という意味)と記している[21]。これを受け、以後日本は北米やサモア、ニュージーランドへと積極的に海外遠征をするようになる。
第4回大会(2002年)
2002年、第4回女子ラグビーワールドカップをスペインで開催。決勝でニュージーランドがイングランドを19対9で破り、2度目の優勝を果たした。女子日本代表は、日本ラグビーフットボール協会の日本代表チームとして「桜のエンブレム」がジャージに付く[22]。
第5回大会(2006年)
女子ラグビーワールドカップ2006は、カナダのエドモントンで開催され、北米で開催された初の主要国際ラグビーユニオン大会となった。ニュージーランドが3連覇を果たした[23]。
第6回大会(2010年)
女子ラグビーワールドカップ2010の開催に関心を示し立候補した国は、過去最多の4か国(イングランド、ドイツ、カザフスタン、南アフリカ共和国)となり、イングランドで開催。決勝戦はロンドンのトゥイッケナム・ストゥープで行われた[24][25]。
第7回大会(2014年)
女子ラグビーワールドカップ2014は、カザフスタン、アメリカ合衆国、ニュージーランド、サモアが立候補したが[26]、紆余曲折の末にフランスでの開催となった[27][28]。
第8回大会(2017年)
女子ラグビーワールドカップ2017は、アイルランドラグビー協会のエリアで開催となり、試合は、アイルランド共和国のダブリンと、北アイルランドのベルファストを会場にして行われた。
前年の2016年リオデジャネイロオリンピックおよび翌2018年に開催されるラグビーワールドカップセブンズとの相乗効果を高めるために、例年より1年前倒しでの開催となった。以降、この2017年を基準に4年周期開催となり、男子ワールドカップの中間年に実施することが決まった。
2019年8月21日、ワールドラグビーは、ラグビーワールドカップ女子大会(Women’s Rugby World Cup)について、性別に関する記述「Women's」を取り除くことを発表した[29][30]。これにより、ワールドカップは男子大会・女子大会のいずれも、「ラグビーワールドカップ」という名称となる。2021年ニュージーランドでの女子大会(実際は2022年に延期開催)は「ラグビーワールドカップ2021」(Rugby World Cup 2021)となり[31]、続いてフランスで開催の男子大会は「ラグビーワールドカップ2023」(Rugby World Cup 2023)となる。しかし、この試みは2023年男子大会までで打ち切られた[32]。
第9回大会(2021年→2022年)
ラグビーワールドカップ2021は、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、2022年に開催された[33][34]。
第10回大会(2025年)
2023年の男子大会終了後、大会名において「Women's」「Men's」の名称を復活させた。これにより「Women's RWC 2025」「Men's RWC 2027」などの表記が公開された[32]。
女子ラグビーワールドカップ2025では、6つの地域すべてから出場国を選出し、出場国は12から16に増やした。ロゴが一新され、それまでの「U」をデザイン化したものから[35][36]、ラグビーボール型の楕円内に「RWC」の文字を入れたものになった[37][38]。また、トロフィーも新しくなった[39]。
第11回大会(2029年)
ワールドラグビーは、法人企業「ラグビーワールドカップリミテッド(RWCL)」を作り、ワールドカップの運営管理を行う[40][41]。オーストラリアで開催される2027年男子大会と2029年女子大会では、ワールドラグビーとオーストラリア協会との合弁企業を作り、運営される予定[42]。
歴代開催国・優勝国
各大会の結果
| 回数 開催年 |
開催国 | 決勝戦 | 3位決定戦 | 参加数 | 備考 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 得点 | 準優勝 | 3位 | 得点 | 4位 | ||||
| 第1回 (1991年) |
アメリカ合衆国 |
19-6 | イングランド |
フランス |
同率3位 [注釈 1] |
ニュージーランド |
12 | ||
| 第2回 (1994年) |
イングランド |
38-23 | アメリカ合衆国 |
フランス |
27-0 | ウェールズ |
12 | ||
| 第3回 (1998年) |
ニュージーランド |
44-12 | アメリカ合衆国 |
イングランド |
31-15 | カナダ |
16 | ||
| 第4回 (2002年) |
ニュージーランド |
19-9 | イングランド |
フランス |
41-7 | カナダ |
16 | ||
| 第5回 (2006年) |
ニュージーランド |
25-17 | イングランド |
フランス |
17-8 | カナダ |
12 | ||
| 第6回 (2010年) |
ニュージーランド |
13-10 | イングランド |
オーストラリア |
22-8 | フランス |
12 | ||
| 第7回 (2014年) |
イングランド |
21-9 | カナダ |
フランス |
25-18 | アイルランド |
12 | ||
| 第8回 (2017年) |
ニュージーランド |
41-32 | イングランド |
フランス |
31-23 | アメリカ合衆国 |
12 | ||
| 第9回 (2021年) |
ニュージーランド |
34-31 | イングランド |
フランス |
36-0 | カナダ |
12 | ||
| 第10回 (2025年) |
イングランド | 33-13 | カナダ | ニュージーランド | 42-26 | フランス |
16 | ||
| 第11回 (2029年) |
16 | ||||||||
| 第12回 (2033年) |
16 | ||||||||
トロフィー

現在のトロフィーは3代目となる。
第1回大会(1991年)のトロフィーは、大会組織委員会のマネージャーであるスー・ドリントンが、ロンドンの商業地区ハットン・ガーデンのアンティークショップで1,000ポンド(当時のレートで25万7000円)強で購入した、1924年に製造された純銀製のものが使われた。第2回大会(1994年)でも使用された後、しばらくして行方不明となった[43]。
第3回大会(1998年)から2代目トロフィーとなる。2021年、ヘレン・エイムズ(Helen Ames)の実家の屋根裏部屋で、1代目トロフィーが発見された[43]。
第10回大会(2025年)から、6地域協会すべてからチームが参加することを記念して、3代目トロフィーとなる。純銀製で24金メッキが施されている[44]。