ラホイスク
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歴史
年代記への初出は1078年の記述であり、ポロツクの地(ru)の一部として名が挙がっている[2]。12世紀頃からロゴジュスク公国の中心地となり、13世紀にはリトアニア大公国の一部となり、ヨガイラ、スキルガイラ、ヴィータウタス、チャルトリスキ公家、ティシュキェヴィチ伯家(en)が所領として支配した。
1505年、クリミア・ハン国との戦争で街は占領され、略奪と放火を受けた。1700年 - 1721年の大北方戦争ではスウェーデン・バルト帝国軍に占領され、ラホイスク城が破壊された。
1793年、第2次ポーランド分割の結果、ロシア帝国の一部となった。なお1814年 - 1819年にティシュキェヴィチ伯家の宮殿が建設されたが、第二次世界大戦(大祖国戦争(ru))の際に破壊されている。
19世紀にメステチコに、1897年にボリソフスク郡の郷となった[注 1]。1890年代には1180人が住んでおり、そのうち685人はユダヤ人だった。また、街にはシナゴーグ、ユダヤ教の礼拝所、正教会、カトリック教会(Костёл)があった[3]。