ラシド・ヌルガリエフ

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生年月日 (1956-10-08) 1956年10月8日(69歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
カレリア自治共和国 ナドヴォイツイ
前職 教師(物理学講師)
KGB諜報員
内務省高官
ラシド・ヌルガリエフ
Рашид Нургалиев
ヌルガリエフの写真(2011年2月22日)
生年月日 (1956-10-08) 1956年10月8日(69歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
カレリア自治共和国 ナドヴォイツイ
出身校 ペトロザヴォーツク大学ロシア語版
前職 教師(物理学講師)
KGB諜報員
内務省高官
所属政党 ソビエト連邦共産党
統一ロシア
称号 上級大将
経済学博士候補
配偶者 マルガリータ・ヌルガリエバ
子女 2人
サイン
在任期間 2023年2月6日 -
大統領 ウラジーミル・プーチン
在任期間 2012年5月22日 - 2023年2月6日
大統領 ウラジーミル・プーチン
内閣 カシヤノフ内閣
第1次フラトコフ内閣
第2次フラトコフ内閣
ズプコフ内閣
第2次プーチン内閣
在任期間 2003年12月29日-2004年3月9日 [注釈 1]
2004年3月9日 - 2012年5月21日
大統領 ウラジーミル・プーチン
ドミートリー・メドヴェージェフ
ウラジーミル・プーチン
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軍歴
ヌルガリエフ上級大将の写真(2010年12月28日)
所属組織 KGB
FSB
ロシア内務省
軍歴 1981年 - 2002年
(KGB・FSB)
2002年 - 2012年
(内務省)
最終階級 上級大将
指揮 内務大臣
安全保障会議書記
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ラシド・グマロヴィチ・ヌルガリエフロシア語: Раши́д Гума́рович Нургали́евタタール語: Рәшит Гомәр улы Нургалиев、ラテン文字表記の例:Rashid Gumarovich Nurgaliyev1956年10月8日 - )は、ロシア軍人政治家ソ連国家保安委員会(KGB)出身の諜報員シロヴィキの一員。カシヤノフ内閣で内務大臣代行、 第1次フラトコフ内閣第2次フラトコフ内閣ズプコフ内閣及び第2次プーチン内閣で第6代内務大臣を務めた。最終階級は上級大将である。

生い立ち

1956年10月8日ソビエト連邦カレリア自治共和国のナドヴォイツイにて、民警(警察)職員の家庭に誕生する。父はカレリア地方ヴェルフニエ村にある刑務所の所長を務めており、退役警察大佐であった。ヌルガリエフの家系は民族的にはタタール人であり、イスラーム教徒である。1974年、カレリア自治共和国ナドヴォイツイ町の中学校を卒業。同年、O.V.クーシネン名称ペトロザヴォーツク国立大学ロシア語版に入学し、1979年に卒業した。在学中は軍事学科で学んだ。同年から1981年まで、ナドヴォイツイの学校の物理学講師として働いた。

KGB・FSBでの勤務

1981年、カレリアのソ連国家保安委員会(KGB)に勤務し、カレワリ地区班及びコストムク市課の作戦係から、メドヴェジェゴルスク地区班長及びカレリア共和国テロ対策課長までを歴任した。なお、カレリアでの勤務で1992年から1994年までヌルガリエフの上司を務めていたのは、カレリア保安大臣のニコライ・パトルシェフであり、彼は後にロシア連邦保安庁(FSB)長官となり、ヌルガリエフともにシロヴィキの一角を担うことになる。

1995年から、KGBの後継組織連邦防諜庁ロシア語版(FSK)、後にロシア連邦保安庁(FSB)の中央機構において、組織監察局主任監察官、内査局課長として勤務し、1998年から翌年まで、ロシア連邦大統領監督総局の課を指導した。1999年から、経済保安部密輸・麻薬不法流通対策局を指揮し、翌年からはFSB次官兼監察局長を務めた。

内務省での勤務

メドヴェージェフ大統領と二者会談を行うヌルガリエフ(2011年3月1日)

2002年ロシア内務省に異動となり、内務第一次官兼刑事警察局長に就任し、麻薬取引や組織犯罪の取り締まりを指揮した。翌年には内務省犯罪警察局(GUBOP)にテロ対策センターを設立させた。2003年12月29日にはボリス・グルイズロフが内務大臣を辞任したのに伴い、ヌルガリエフは一時、内務大臣代行を務め[1]2004年3月9日に正式に内務大臣に任命された。同年に著書『内務省1902-2002:歴史的概説』を出版。

2005年12月27日より上級大将に昇進。翌年2月より、ロシア連邦国家反テロ委員会ロシア語版のメンバーおよび副委員長を務める。

2011年3月1日にヌルガリエフの指導のもと、内務省の改革が行われ、警察は名称を変更し、「ミリツィヤ」(民警)から「ポリツィヤ」(警察)と呼ばれるようになった[2]

内務相辞任後の経歴

2012年5月8日、ヌルガリエフは大統領ドミートリー・メドヴェージェフの辞任に伴い、内務相を辞任した。同年5月21日、大統領に再任したウラジーミル・プーチンはヌルガリエフの後任に、内務省モスクワ市局長のウラジーミル・コロコリツェフを任命した。ヌルガリエフはプーチンにより、ロシア連邦安全保障会議副書記に任命され[3]2023年2月6日より、第一副書記に昇進した[4]

2017年6月7日、ヌルガリエフは ペトロザボーツク市議会ロシア語版によりペトロザボーツク市の名誉市民に任命された[5]

制裁

ドンバス戦争が勃発した2014年7月25日、ヌルガリエフは「ウクライナの領土保全、主権、独立を脅かすロシア政府の政策に関与した」として欧州連合(EU)およびモナコの制裁リストに加えられた[6][7][8]

2022年4月6日ロシアのウクライナ侵攻を受けて、ヌルガリエフはアメリカの制裁リストに追加された[9][10]。同年5月10日には日本の制裁リストに追加され、[11]。さらにイギリスカナダオーストラリアスイス、ウクライナ、ニュージーランドの制裁リストにも追加されている[12][13]

人物

ヌルガリエフは妻帯であり、二人の息子がいる[14]。ヌルガリエフは自分の好きな街として自身が名誉市民賞を受けたペトロザボーツクを挙げている。子どもの頃からアイスホッケーに夢中。2006年のインタビューでは、自分はベジタリアンであり、食事は「ナッツ、野菜、果物」で済ませるようにしていると語っている[15]

ロシアの新聞「ソベセドニクロシア語版」と「モスクワ・コムソモリツロシア語版」はヌルガリエフを「最も不人気な内務大臣」と掲載した[16][17]

人物

脚注

関連項目

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