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ラビット・モランビル

アメリカ合衆国の野球選手 (1891-1954) From Wikipedia, the free encyclopedia

ウォルター・ジェームズ・ヴィンセント・モランビル(Walter James Vincent "Rabbit" Maranville, 1891年11月11日 - 1954年1月5日)は、マサチューセッツ州スプリングフィールド出身[1]のプロ野球選手(遊撃手)。右投げ右打ち。

出身地 マサチューセッツ州スプリングフィールド
生年月日 1891年11月11日
没年月日 (1954-01-05) 1954年1月5日(62歳没)
概要 基本情報, 国籍 ...
ラビット・モランビル
ラビット・モランビル (1914年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州スプリングフィールド
生年月日 1891年11月11日
没年月日 (1954-01-05) 1954年1月5日(62歳没)
身長
体重
5' 5" =約165.1 cm
155 lb =約70.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1912年
初出場 1912年9月10日
最終出場 1935年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1954年
得票率 82.94%
選出方法 BBWAA選出
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ニックネームはRabbit(ラビット)。守備範囲の広い遊撃手として、また球界随一の「道化師」として有名だった。

経歴

1891年11月11日、フランス系アメリカ人の父とアイルランド人の母の三男としてマサチューセッツ州に生まれる[1]。

その後は工業高校に進むが、「働くのなら学校を辞めても構わない」という父の言葉を受け、15歳のときに高校を辞め、配管工となる。しかし、仕事よりも地元のノンプロチームで練習をしていた時間の方が長かったという[1]。

1911年、マイナーリーグ(ニューイングランドリーグ)のニューベッドフォード・ホエーラーズでプロデビュー[1]。

翌1912年、シーズン途中にボストン・ブレーブスへ昇格し、同年9月10日にメジャーデビューを飾る。1913年にレギュラーに定着すると、1914年には全試合に出場し、チームの優勝に貢献。同年のワールドシリーズでも活躍し、最優秀選手投票で次点となっている。

1918年に兵役のため戦列を離れた以外は、毎年遊撃手のレギュラーとして活躍した[1]。

1921年にビリー・サウスワースら計3人+金銭の大型トレードでパイレーツに移籍。1923年には遊撃手として刺殺数、補殺数、併殺数、守備率でリーグトップを記録。二塁手にコンバートされた1924年にも補殺数、併殺数、守備率でリーグトップの成績を残す。同年彼が取ったダブルプレーは実に109個にも及ぶ。

1925年、カブスに移籍し、同チームの選手兼任監督に就任するが、7位に終わり1年で解任される。翌1926年はブルックリン・ロビンズに移籍するが、8月に解雇される[1]。

1927年にカージナルスと契約。禁酒の効果もあり、翌1928年には再びレギュラーの座を掴むと、同年の優勝にも貢献した。

1929年にブレーブスに復帰。1931年には全米選抜軍の一員として、ルー・ゲーリッグやレフティ・グローブらと共に来日。当時すでに40歳であったが、各地で軽快なプレイを披露し、股の間から送球する妙技まで披露した。

1934年のオープン戦にて本塁でのクロスプレーで脚の骨を折る重傷を負い、同年のシーズンを欠場[1]。翌年に復帰するが、同年限りで現役を引退した。実働年数23年は、1986年にピート・ローズに抜かれるまで、50年以上にわたってナショナルリーグ記録であった。

その後、1936年から1939年にかけてマイナーの3チームで監督を務め、その後はニューヨークで少年野球のコーチを務めた[1]。教え子にはホワイティ・フォードなどがいる[1]。

1954年1月5日に冠動脈硬化症のため、ニューヨークの自宅で死去。62歳没。同年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。選出は殿堂入り候補となって18年目のことで、これは記者選出としては最長である。

選手としての特徴

  • 小柄で目だった打力があったわけではないが、その内野守備範囲の広さで注目を集めるようになる。メジャー3年目の1914年から1917年まで、遊撃手としての刺殺数は4年連続でリーグ最多を記録した。二塁手のジョニー・エバースとのコンビは、歴代でも屈指の守備範囲を誇っていたという[1]。
  • また、フライを取る際には腰の位置で両手捕球をしていた[1]。
  • 通算本塁打28のうち、22本はランニングホームラン(インサイド・ザ・パーク・ホームラン)であった。というのも、ボストン時代のブレーブスの本拠地ブレーブス・フィールドは当初異常に広く、後に狭められたが、1910年代は両翼402フィート(約121m)、中堅440フィート(約132m)、右中間の最深部はもっとも広い時期には500フィート(約150m)近くもあったという。1920年代のベーブ・ルース時代の到来と共に、野球の華はホームランとなり、ブレーブス・フィールドも狭められ、モランビルも一時ブレーブスを放出されることとなった

エピソード

  • ラビットというニックネームは、小柄な割に耳が大きく、また機敏にゴロを捌く姿がうさぎのようだったことから名付けられた[1][2]。
  • イタズラ好きで知られており、1925年、カブスの選手兼任監督時代には、移動中の寝台車で、「俺が監督である間は、誰も寝てはならぬ」と言いながら、寝ている選手の顔に次々と氷水をかぶせて廻ったこともあった。
  • 翌1926年のブルックリン・ロビンズ時代、本拠地エベッツ・フィールドの前で、新聞配達の真似をして「モランビルが解雇された!」と大声で叫んでまわった。実際その翌日、彼は本当にロビンズを解雇されてしまう。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1912 BSN 26101869182002081--5--9--114--.209.292.233.524
1913 14365957168141138217648251917--68--362--.247.330.308.638
1914 1566635867414423641917828--27--45--656--.246.306.326.632
1915 14957850951124236216543181223--45--265--.244.308.324.632
1916 155680604791421613419638321524--50--269--.235.296.325.620
1917 14261356169146191332004327--10--40--247--.260.312.357.668
1918 1142383120101430--0--4--00--.316.381.368.749
1919 13152948044128181051814312--12--36--123--.267.319.377.696
1920 134534493481311915118343141113--28--024--.266.305.371.676
1921 PIT 153686612901802512123270251223--47--338--.294.347.379.727
1922 1557466721151982615025463241312--61--243--.295.355.378.733
1923 1416335817816119912014114119--42--134--.277.327.346.673
1924 152639594621583320223771181411--35--053--.266.307.399.706
1925 CHC 753052663762103078236510--29--020--.233.308.293.602
1926 BRO 78266234325585073247--6--26--024--.235.312.312.624
1927 STL 9312907100800--0--2--02--.241.290.276.566
1928 112413366408814101125343--9--36--127--.240.310.342.652
1929 BSN 14663356087159261002055513--23--47--433--.284.344.366.710
1930 142628558851572682205439--17--48--523--.281.344.367.711
1931 145636562691462250178339--16--56--234--.260.329.317.646
1932 149635571671342040162374--15--46--328--.235.295.284.579
1933 143533478461041540127382--17--36--13417.218.274.266.539
1935 2371673102001250--1--3--034.149.186.179.365
通算:23年 2670112541007812562605380177283423884291112300--839--3975621.258.318.340.658
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  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録

監督としての戦績

脚注

外部リンク

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