ラファエル・パヤーレ
From Wikipedia, the free encyclopedia
アンソアテギ州プエルト・ラ・クルスで、市の地図製作者であった父と、教師の母のもとに生まれた。14歳という比較的遅い年齢で、ベネズエラの社会的音楽教育プログラムのエル・システマの地元支部でフレンチホルンを始めた。程なくアンソアテギ交響楽団に席を得るほどの才能を発揮し、その後、ベネゼエラ国立児童オーケストラを経て、シモン・ボリバル交響楽団の首席ホルン奏者として活躍した[1]。首席ホルン奏者としての経験は、パヤーレのその後の指揮者としてのキャリア形成に大きな影響を与えた。シモン・ボリバル交響楽団の一員として、ジュゼッペ・シノーポリ、クラウディオ・アバド、サイモン・ラトル、ロリン・マゼールといった世界的な巨匠たちの指揮のもとで、数々のツアーや録音に参加した[2]。特にシノーポリとの共演は、指揮者になることを決意する一つのきっかけとなった[3]。エル・システマの創設者であるホセ・アントニオ・アブレウのもとで正式に指揮の勉強を始め[1]、ベネズエラ国内の主要なオーケストラを指揮する経験を積んでいった[3]。2011年にはルツェルンでベルナルト・ハイティンクのマスタークラスに参加し 、2012年のマルコ国際指揮者コンクール優勝後には、クラウディオ・アバドのシモン・ボリバル交響楽団での活動に、またダニエル・バレンボイムのベルリン国立歌劇場での活動に、それぞれアシスタント指揮者として従事した。さらに、バージニア州のキャッスルトン・フェスティバルを主宰していたロリン・マゼールに師事し、同音楽祭の首席指揮者を継承した[1]。
2013年に初めてアルスター管弦楽団に客演、若々しい情熱とカリスマ性で聴衆に感銘を与え、2014年から首席指揮者に就任し2019年まで務めた[4]。退任後は桂冠指揮者に任命される[5]。
2018年にサンディエゴ交響楽団に初客演後、わずか1ヶ月で次期音楽監督に任命され、2019年1月より音楽監督に就任した。2023年にニューヨークのカーネギー・ホールで公演を開催、妻でありチェリストであるアリサ・ワイラースタインがソリストとして共演した[6]。2025年には任期が2028-29シーズンまで延長され、新たに音楽監督兼芸術監督の肩書を得る[7]。
2021年にケント・ナガノの後任としてモントリオール交響楽団の音楽監督に任命され2022年に就任した[3][8]。サンディエゴ交響楽団と同様に、マーラーとショスタコーヴィチの交響曲サイクルを行う他、ベルリオーズなどにも取り組んでいる[7][9][10]。
客演活動
ヨーロッパではベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団[11]、バイエルン放送交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ロンドン交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団など、アメリカではシカゴ交響楽団、ボストン交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、フィラデルフィア管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニックなど[7]、日本ではNHK交響楽団に客演している[12]。オペラ指揮者としも、ベルリン国立歌劇場、ロイヤル・オペラ・ハウス、グラインドボーン音楽祭、スウェーデン王立歌劇場、デンマーク王立劇場などで活動している[7]。
