ラポールゆや
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ラポールゆや Rapport Yuya | |
|---|---|
|
| |
![]() | |
| 情報 | |
| 正式名称 | ラポールゆや |
| 旧名称 | 油谷町文化会館 |
| 完成 | 1997年12月 |
| 客席数 | 500席 |
| 用途 | 各種イベント |
| 運営 | 公益財団法人長門市文化振興財団 |
| 所在地 |
〒759-4503 山口県長門市油谷新別名10833 |
| 位置 | 北緯34度22分10秒 東経131度3分17秒 / 北緯34.36944度 東経131.05472度座標: 北緯34度22分10秒 東経131度3分17秒 / 北緯34.36944度 東経131.05472度 |
| 最寄駅 | 山陰本線 人丸駅 |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
ラポールゆやは、山口県長門市(旧大津郡油谷町)にある市営の文化施設。1997年(平成9年)12月開館。
公益財団法人長門市文化振興財団が指定管理者として運営に当たっている。
歴史
油谷町における文化会館建設に向けた動きは1992年、町の平成四年度施政方針に初めて登場した[3]。この方針で町は、油谷小に隣接する山林10万㎡を購入し、保育所や町民センターを建設するという、後にコミュニティパーク整備事業と呼ばれることになる事業の構想を示した[4]。町民センターは「油谷町ふれあいセンター」の仮称で呼ばれるようになり、1994年(平成6年)4月に町は建設推進委員会を設置した[5]。1996年(平成8年)10月に着工[6]、1997年11月に完成した。名称は公募のうえ、名称が「油谷町文化会館」、愛称が「ラポールゆや」と決まり[7]、11月22日に安倍晋三衆議院議員も出席して竣工記念式典が行われた[8][9]。
2000年3月には長門市に山口県が整備した文化施設「ルネッサながと」が開館、類似した施設の存在が合併協議の障害となった。長門市側は長門広域都市圏一市三町での運営を見込んでおり、運営を担う「ながと広域文化財団」を設立した。3町側は設立に出資はしたものの、運営費は負担しなかった。特に油谷町は、ラポールゆやの維持に年6000万円以上かかっており、ルネッサながとの費用負担は無理と主張していた[10]。しかし結局、2005年3月に油谷町は長門市と合併、油谷町文化会館は長門市有の文化会館となった。その際、設置根拠となる「長門市文化会館条例」(平成17年3月23日条例第172号)において施設名称を「ラポールゆや」と定めたことにより、「ラポールゆや」が正式名称として用いられることになった[11]。
油谷中央公民館
油谷町の中央公民館は当初、1967年(昭和42年)に石原小学校跡地を活用して作られた[12][13]。しかし建物が1926年(大正15年)建築で古く、施設も不充分であると考えられていた[14]。1972年(昭和47年)、油谷町は中央公民館の建設費を同年度予算に盛り込み[15]、4月には油谷小の隣接地を予定地に決めた[16]。ところが5月8日に起きた不審火により公民館は全焼、公民館に置かれていた油谷町史の資料も焼失した[17]。公民館の業務は一時、役場庁舎内で行われることになった[18][19]。1973年(昭和48年)10月に中央公民館が再建され[20]、以降は町内各地区の公民館は連携して活動するようになった[12]。
その公民館も2005年3月に油谷町が長門市と合併する頃には老朽化が目立ってきたが、公民館は教育委員会の所管であり、企画総務部所管のラポールゆやとは管轄が異なっていた。2007年にラポールゆやが教育委員会所管に変更されて一体運営が可能となり、2008年に中央公民館はラポールゆやに移転した。旧油谷中央公民館の建物は解体されることになり、2013年、解体される前の建物が、長門市消防本部により鉄筋コンクリート製の建物に署員が穴を開けて救助する訓練に使用された[21][22]。一方、移転先のラポールゆやには公民館の併置を表す看板がなかったが、2020年に「油谷中央公民館」と書かれた看板が取り付けられた[23]。
こどもミュージカル
2003年から自主公演事業として企画された事業の一つ。地元の子供達によるオリジナルミュージカルの公演が毎年行われている。照明と音響はプロが行っているが、衣装は住民が担当している[24]。
2003年にラポールゆやの開館5周年記念事業として公演された「サンタの残した忘れ物」が最初の作品である。東京から油谷町に転校してきた女の子が友達やサンタクロースと交流する物語で、原作・脚本・演出を下関市民ミュージカル代表の伊藤寿真男が担当した。伊藤は学校公演や小中学生対象の研究所設立などを通じてミュージカル浸透を図ってきた実績がある人物である[25][26]。最初の公演は2003年2月2日、町内の小中学生を対象とした午前、一般客を対象とした午後の2回行われ、午後の会は椅子に座り切れないほどの来場客を集めた[27][28]。
2回目は下関市民ミュージカルの公演作である「見習い魔女マジョリカ」が取り上げられ、2003年11月8日に公演された[29]。9回目の公演となった2010年の「ふたりの蛍子の物語」は、それまでと異なり戦争をテーマとした作品となった[30]。
ラポールゆやでの定期公演のほか、外部でも公演を行うことがある。2011年には長門のライブハウス「パタ屋」で、油谷にたどり着いたと伝説の残る楊貴妃を題材にしたミュージカルの野外公演を行った[31]。2019年にはルネッサながとで開催された「第25回全国棚田(千枚田)サミット」に出演し、オープニングで田の保護を訴える演目を披露した[32][33]。このほか海峡メッセ下関や山口情報芸術センターでも公演実績がある[34]。
