ラリー・ロビンソン
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| ラリー・ロビンソン | |
|---|---|
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2008年 | |
| 本名 | ラリー・クラーク・ロビンソン |
| 原語名 | Larry Clark Robinson |
| 愛称 | ビッグバード |
| 生誕 |
1951年6月2日(74歳) ノース・ダンダス |
| 身長 | 6 ft 4 in (1.93 m) |
| 体重 | 225 lb (102 kg; 16 st 1 lb) |
| ポジション | ディフェンス |
| シュート | 左打ち |
| 所属したチーム |
モントリオール・カナディアンズ ロサンゼルス・キングス |
| 代表 |
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| NHLドラフト |
全体20位(1971年) モントリオール・カナディアンズ |
| プロ選手期間 | 1973年 – 1992年 |
| 1995年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| アイスホッケー | ||
| カナダカップ | ||
| 1976 | ||
| 1981 | ||
| 1984 | ||
ラリー・ロビンソン(英語: Larry Robinson, 1951年6月2日 - )は、カナダオンタリオ州ノース・ダンダス生まれのプロアイスホッケー選手。ポジションはディフェンス。
NHLキャリア20年の間にプレーオフ進出を逃したことはなく、その圧倒的な存在感で、1970年代後半のモントリオール・カナディアンズ王朝最強のブルーライナーとして君臨した。
選手として
ロビンソンはオンタリオ州東部の酪農場で生まれ育ち、セントラル・ジュニアホッケーリーグのブロックビル・ブレーブスとオンタリオホッケー協会のキッチナー・レンジャーズでジュニアホッケーをプレーした。
AHLのノバスコシア・ボヤジャーズでプロに転向し、1971-72年のカルダーカップ優勝に貢献した。これはカナダを拠点とするチームとして初の優勝だった。同年後半、カナディアンズに加入し、ルーキーイヤーに初のスタンレーカップを獲得した。
その後も1976年から1979年までのチームの4年連続カップ優勝に貢献し、1976-77シーズンのベストシーズンには19ゴール85ポイント、驚異的なプラス120を記録し、最初のジェームス・ノリス記念賞を受賞した。カナディアンズは他の個人賞もほぼ独占し、レギュラーシーズンでは60勝8敗を達成、NHL史上最強チームの1つと認められている。
1978年のスタンレーカップ決勝で6ポイントを挙げ、21ポイントでラフレールと並ぶポストシーズンのポイント王となったロビンソンは、コーン・スマイス賞を受賞した。1979-80年のシーズンに2度目のジェームス・ノリス記念賞を受賞し、1986年に再度チームのカップ優勝に貢献した。
カナディアンズで17シーズン、その後ロサンゼルス・キングスで3シーズン(1989年から1992年まで)プレーした。ロビンソンは優れた守備だけではなく、パックの扱いも非常に上手だった。NHLのプレーオフ20年連続出場は歴代1位タイであり、NHLオールスターゲームには10回出場した。NHLでの最終成績は、208ゴール、750アシスト、958ポイントのレギュラーシーズン、さらにプレーオフ227試合で144ポイントを記録した。
国際的には、1976年、1981年、1984(ウェイン・グレツキーと共同キャプテン)年のカナダカップでカナダ代表として出場した。1981年にはカナダ代表として世界選手権に出場し、大会のオールスターチームに選出された。
コーチとして
1993年、ロビンソンはニュージャージー・デビルスのアシスタントコーチに任命され、2年後にチームはスタンレーカップを獲得した。同年後半、かつてのチームであるロサンゼルス・キングスのヘッドコーチに就任した。1998-99シーズン終了後にロサンゼルスを離れた後、デビルスのアシスタントコーチとして再契約した。1999-2000シーズンの途中、ヘッドコーチのロビー・フトレックが解任され、ロビンソンが就任してチームをスタンレーカップ優勝に導き、ヘッドコーチとしてカップ初勝利を収めた。
デビルズは2001年に再びスタンレーカップ決勝に進出したが、コロラド・アバランチに敗れた。ロビンソンは2001-02シーズン中に解任されたが、2002-03シーズン前にデビルスのアシスタントコーチに雇用され、デビルズは再びスタンレーカップを獲得した。病のパット・バーンズに代わり、ロビンソンは2005-06シーズン前に再びヘッドコーチに昇格したが、12月に辞任した。2007-08シーズンにはアシスタントコーチとして復帰したが、2008-09シーズンは特別任務のポジションを選び、2011-12シーズン終了までその職にあった。
2012-13シーズンにサンノゼ・シャークスにアソシエイトコーチとして加わり、2014年5月には選手育成ディレクターの肩書きも加わった。2016-17シーズン終了時に契約が終了した。
プレーと影響
「ビッグバード (Big Bird)」として知られるロビンソンは、身長6フィート4インチ、体重225ポンドの体格でしばしば相手選手を圧倒した。それまでの大柄なディフェンスマンは伝統的に守備重視のスタイルであったが、賢く、タフで揺るぎない守備力を持ちながら、強力な攻撃力も持ち合わせた双方向の選手だった。ロビンソン本人は、自分のミスをカバーできる長年の相棒であったセルジュ・サバールの堅実な守備プレーがあったからこそ、安心して攻撃に移ることができたと語っている。大きく、強く、スケートができ、ゴールも決められ、いざとなれば戦うこともできたが、クリーンなプレースタイルをこなした。
ロビンソンの元チームメイトでありゴールテンダーであったケン・ドライデンは自らの著書において「ロビンソンは、個人的な統計や具体的な貢献以上に、試合に与える影響がはるかに大きい稀有な選手で、彼が氷上に立つと、プレー全体の雰囲気が変わったように見えた。彼の後ろに立つと変化を感じ、より抑制され、敬意を払うようになり、彼がすることを待っているかのようだった。威圧的で荒っぽいプレイスタイルで悪名高いフィラデルフィア・フライヤーズやボストン・ブルーインズでさえも畏敬の念を抱き、敬意をもって接し、彼がいるときは自分たちのスタイルを捨て、勝利の望みも完全に失ったようだった。」と語っている。
そのプレイスタイルは、ロサンゼルス・キングス時代の後継者であるロブ・ブレイクを初め、スコット・スティーブンスやクリス・プロンガーといった後進に大きな影響を与え、彼らは1990年代後半から2000年代前半のNHLにおける堅固な守備システムの中核を担い、その後の大柄なエリートディフェンスマンの基準となった。