ランベール=シジスベール・アダム
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当時ロレーヌ公国であったナンシーで生まれた[1]。多くの彫刻家を輩出したロレーヌの「アダム家」の出身で、父親のジェイコブ・ジギスバート・アダム(Jacob Sigisbert Adam: 1670-1747)は彫刻家で、弟のニコラ・セバスティアン・アダム(Nicolas Sébastien Adam: 1705-1778)とフランソワ・ガスパール・アダム(Francois Gaspard Adam: 1710-1761)は彫刻家になり[2] 、妹のアンヌは彫刻家のトマ・ミシェル(?-1751年)と結婚し、彫刻家のクロード・ミシェル(1738-1814)らの母親になった。ランベール=シジスベール・アダムは弟のニコラ・セバスチャンと共に働き、弟と区別するために「年上のアダム(Adam l'aîné)」の別名でも呼ばれる。
1718年の冬にメスに移り修行し、1719年5月にパリに移り、フランソワ・デュモン(François Dumont: 1688-1726)の弟子になった。1723年に王立絵画彫刻アカデミーの彫刻部のローマ賞を受賞しローマ留学の奨学金を得て、1723年から10年間ローマに留学した。
ローマではフラン出身の枢機卿メルキオール・ド・ポリニャック(Melchior de Polignac: 1661-1742)の依頼で、古代の彫刻の修復もし、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)の作品から強い影響を受け、神話や寓意的なレリーフ、宗教を主題にした彫刻を制作した。1731年に行われた教皇クレメンス12世が計画したトレヴィの泉の改修のデザインコンクールで高い評価を得たが、最終的にイタリア人彫刻家のニコラ・サルヴィ(Nicola Salvi)の設計が選ばれた[3]。1733年にパリに戻り、弟のニコラ・セバスティアン・アダムと働き、フランス王室からの注文で、宮殿の庭園の装飾彫刻を制作した。有名な作品には、ヴェルサイユ宮殿の庭園のネプチューンの泉(Bassin de Neptune)を構成する彫刻の一つ「ネプチューンとアンフィトリテ(Neptune et Amphitrite)」などがある。
1737年に、「三叉槍で嵐を鎮めるネプチューン(Neptune calmant la tempête accompagné d’un triton)」(ルーヴル美術館蔵)を入会申請作品として制作し、王立絵画彫刻アカデミーの会員になった。
1759年にパリで没した。