リカルド・ボフィル
スペインの建築家 (1939-2022)
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経歴
1939年にカタルーニャ地方のバルセロナに生まれる。バルセロナ建築高等技術学校(現在のカタルーニャ工科大学建築学部)およびスイスのジュネーヴ大学で学ぶ。フランコ独裁政権に抗してマルキストになり、一時投獄された経験をもつ。大学から追放されたが、ジュネーブで建築学を続けた。1962年、建築家やエンジニアばかりでなく、文筆家・数学者・写真家・哲学者・経済学者・社会学者と多彩な分野の人々がスタッフに加わるクリエール・タイエ・デ・アルキテクトゥーラ(Taller de Arquitectura)を設立。
1963年、バルセロナに戻った。世界各地に拠点を構え、文化施設や高層ビル、空港など1000件以上のプロジェクトを手がけた[1]。2022年1月、新型コロナウイルス感染に伴う合併症のため82歳で死去した[2]。
主な作品
| 名称 | 年 | 所在地 | 国 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| ウォールデン7 | 1970年-1975年 | バルセロナ | ||
| マルカ・ヒスパニカ公園 | 1974年-1976年 | ル・ペルテュ | ||
| アンティゴーヌ | 1978年 | モンペリエ | ||
| メリチェイの聖所 | 1974年-1978年 | カニーリョ教区 | ||
| ラ・マンサネラ | 1964年-1982年 | アリカンテ | シャナドゥ、ラ・ムライヤロハ、エル・アンフィテアトロからなる複合リゾート | |
| アブラクサス館 | 1982年 | ノワジー=ル=グラン | ||
| 国立モスク[3] | 1982年 | バグダッド | ||
| バルセロナ=エル・プラット空港 | 1992年 | バルセロナ | ||
| ユナイテッドアローズ原宿本店 | 1992年 | 東京都渋谷区 | ||
| マドリッド市議会 | 1993年 | マドリード | ||
| 国立カタルーニャ劇場 | 1997年 | バルセロナ | ||
| カサブランカ・ツインセンター | 1999年 | カサブランカ | ||
| 明治安田生命青山パラシオ | 1999年 | 東京都港区 | ||
| 東京銀座資生堂ビル | 2001年 | 東京都中央区 | 2002年度グッドデザイン賞受賞。 | |
| ラゾーナ川崎プラザ | 2006年 | 神奈川県川崎市 | ||
ギャラリー
訳書
参考文献
- クリスチャン・ノルベルク=シュルツ(三宅理一訳)
- 『リカルド・ボフィル/タリエール・デ・アルキテクトゥラ』GAアーキテクト4 世界の建築家(A.D.A.EDITA、1985年)
- 「リカルド・ボフィール 1995-2000」『SD』03号(鹿島出版会、2000年)
- 谷口江里也『リカルド・ボフィル 作品と思想』未知谷 2018年
