リチャード・レイン
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フロリダ州キシミー生まれ、ニューヨーク育ち。高校・大学時代は作家を目指し、短編小説で二度賞をとる。第二次世界大戦に伴い、18歳でアメリカ海兵隊に出願し[2]、情報部専門学校に入学する[2]。卒業後、南九州上陸部隊の中にあったが終戦を迎える。その後、1945年から1946年にかけて、通訳として長崎、鹿児島、佐世保などで過ごす[2]。帰国後、ハワイ大学で日本文学を学び[2]、1948年ハワイ大学卒。コロンビア大学で西鶴研究を行い、文学修士号を取得する[2]。1950年から1952年にかけて、奨学金を受けて日本に留学[2]。東京大学、早稲田大学、京都大学の大学院で日本文学を学ぶ[1]。この時期、江戸川乱歩や伊藤晴雨、浮世絵研究の師となる渋井清らと知り合う[2]。師宣記念館の創立を援助した功績により、紺綬褒章を受章した。
1958年、コロンビア大学で日本古典の博士号取得[1][2]。母校のコロンビア大学やメリーランド大学で日本語、日本文学、比較文学、日本美術史を教え、ホノルル美術館の学芸員を務めた[1][2]。1960年代から再び日本に渡り[2]、暉峻康隆とともに春画研究に携わる。1960年代の日本で、春画を研究することは容易ではなかった。そのため、国貞裁判をはじめ、レイン自身の刊行著作も発禁処分を3回受けた[2]。しかし、1990年代前後には状況が改善し、1995年には、林美一との共同監修で未修正版の『定本・浮世絵春画名品集成』を刊行し[2]、春画を文化史の中に位置づけた。