リベル・リンテウス

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材質リネン
製作紀元前3世紀
リベル・リンテウス
材質リネン
製作紀元前3世紀
発見1867
ザグレブ, クロアチア
所蔵ザグレブ, クロアチア


リベル・リンテウスまたは、リベル・リンテウス・ザグラビエンシスLiber Linteus Zagrabiensisラテン語で「(ザグレブの)リネンの書」を意味し、稀に Liber Agramensis「アグラムの書」とも呼ばれる)は、現存するエトルリア語文献のうち最長のものであり、また唯一の現存する亜麻布の書(libri lintei)である。紀元前3世紀に遡るとされ、現存するヨーロッパ最古の書物である可能性が高い。第2に長いエトルリア語文献であるタブラ・カプアナとともに祭暦であると考えられている。エトルリア語に関する知識が限られているため、本書の大部分はいまだ解読されていないが、判読可能な語句から、この文書は祭暦である可能性が高いことが示唆されている。Miles Beckwith(2008)は、この文書に関連して「過去三、四十年間で、エトルリア語の理解は著しく進展した」と述べており、L. B. van der Meer は全テキストについて逐語的な分析を公刊している[1][2][3]。 本書の素材である亜麻布は、プトレマイオス朝エジプトにおいてミイラの包布として再利用されたことで保存された。ミイラは1848年にアレクサンドリアで購入され、1867年以来、ミイラと写本はクロアチアザグレブに保管され、現在はザグレブ考古学博物館の低温管理室に収蔵されている。

ザグレブ考古学博物館のミイラ

1848年、ハンガリー王室官房に勤務していた下級クロアチア人官吏 ミハイロ・バリッチ(Mihajlo Barić, 1791–1859)は、その職を辞し、エジプトを含むいくつかの国々を巡る旅に出た。アレクサンドリア滞在中、彼は旅の土産として女性のミイラを収めた石棺を購入した。バリッチはウィーンの自宅でミイラを展示し、居間の隅に立てて置いていた。その後、彼は亜麻布の包帯を取り外し、別のガラスケースに陳列したが、布に刻まれた銘文やその重要性には気づかなかったと見られる。

このミイラは彼の自宅に展示されたまま、1859年にバリッチが死去するまで残され、その後は彼の弟でスラヴォニアの司祭であった イリヤ の所有となった。しかし、イリヤはミイラに関心を示さなかったため、1867年にクロアチア・スラヴォニア・ダルマチア国立研究所(現在のザグレブ考古学博物館)に寄贈した。同館の目録には、次のように記載されている。

「若い女性のミイラ(包帯は除去済み)がガラスケース内に直立しており、鉄製の棒によって支えられている。別のガラスケースには、未知かつ未解読の言語で全面的に文字が記されたミイラの包帯が収められており、これは国立博物館にとって卓越した至宝をなすものである。」

ミイラとその包帯は同年、ドイツのエジプト学者ハインリヒ・ブルグシュによって調査された。彼は包帯上の文字に気づいたが、それをエジプトのヒエログリフであると誤認したため、さらなる研究は行わなかった。1877年になって、偶然の機会にリチャード・バートンとルーン文字について語り合ったことから、その文字がエジプト起源ではないことに気づいた。二人は当該文書が潜在的に重要であることを認識したものの、誤ってアラビア文字による『死者の書』の転写であると結論づけてしまった。

1891年、包帯はウィーンに移送され、コプト語の専門家であるヤーコプ・クラルによって精査された。彼は当初、その文字がコプト語、リビア語、あるいはカリア語であると予期していた。しかし1892年、クラルは最初にその言語がエトルリア語であることを特定し、断片を再構成した。彼の研究によって、当該リネン包帯がエトルリア語で記された写本であることが初めて確立されたのである[4]。 当初、このミイラの出土地および身元は、その発掘と売買が正規の手続きを経ていなかったため不明であった。そのため、当該ミイラが『リベル・リンテウス』あるいはエトルリア人と何らかの関係を有していたのではないかという推測がなされた。彼女の石棺の内部からは一巻のパピルスが発見され、それは『死者の書』であると同定された。この文書にはテーベ出身の仕立屋パヘル=ヘンスの妻であるエジプト人女性ネシ=ヘンスの名が記されていた。この発見は、当該ミイラがパピルスに言及されるネシ=ヘンスであることを示唆する証拠として用いられてきた[5] 。しかし、その後のパピルス分析によれば、パピルスの年代はミイラよりもおよそ一世紀遅れることが判明し、ミイラがネシ=ヘンス本人ではない可能性が示唆されている[6]

彼女は没時30歳から40歳であり、首飾りを身に着け、髪には花と金の痕跡が認められた。副葬品として添えられた花冠の断片の中からは、猫の頭蓋骨が発見されている[7]

テキスト

脚注

書籍

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