リヴォルヴァーカノン
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原理

典型的なリボルバーカノンは、薬室のない砲身と、送弾機構を内蔵する尾筒部から構成されており[2]、ガス圧作動方式を用いた自動機構を備えている[4][注 2]。尾筒部には軸があり、この軸に複数の薬室をもつシリンダーと送弾用のスプロケットが組み込まれている[2]。実戦配備されたリボルバーカノンの薬室数は、最も少ないもので4個、5個が最も一般的、7個(単砲身)や8個(二連砲身)という例もある[3]。
リボルバーカノンの最大の長所は、弾薬を数段階に分けて薬室に装填するため、発射速度を大きくできる点にある[2][3]。シリンダー内の薬室数が4個の場合、一室は空、次室に新弾を装填、三室目(砲身と連動)で発射、四室目で発射済み薬莢を排出することになる[2]。発射速度は、口径と薬室数に応じて毎分1,000~2,500発の範囲で、実戦配備火砲の口径は20mmから35mmである[3]。また、口径・発射速度に対して、砲全体を小型にできるという長所もあり、航空機関砲として優れている[2]。
一方、最大の短所は、砲身と薬室が分離されているため、この間隙から発射薬の燃焼ガスが漏れないように特別な措置を講じる必要があるという点である[4]。通常は、間隙を埋めるためにスリーブを前方に押し出す機構が組み込まれる[3]。またその他にも、発射速度が大きいために砲身の寿命が短くなること、シリンダに大きな偏心慣性力が働いて砲身の振動を誘起するため、これへの対策が必要なこと、発射前に薬室へ送弾するために別の動力源を必要とすること、薬室付きのシリンダが加熱した場合のコックオフで砲機構が破壊される可能性があることといった短所がある[2](原理的にオープンボルト化は出来ない)。
概史
リボルバーカノンというアイデア自体は、1905年にフィラデルフィアのチャールズ・クラークが特許を取得していたものの、これは実用化されることなく、忘れ去られてしまった[4]。実用化という点では、第二次世界大戦末期にナチス・ドイツのマウザー社において、アントン・ポリッツァーが率いる設計チームが行っていた研究が端緒となる[4]。このチームが設計したのがMG 213で、20mm口径のMG 213C(後にMG 213/20と改称)と30mm口径のMG 213/30が開発されていた[4]。
終戦後、チームの人員は西側諸国において作業を継続しており、ポリッツァーはフランス、オットー・フォン・ロスニッツァーはアメリカ合衆国、フレドリック・リンダーはスイス、ワーナー・ユンゲマンはイギリスに渡った[4]。このうち、フランスおよびイギリスはMG 213/30を基にしたDEFA 550およびADENを、またアメリカは20×102mm弾仕様に変更したポンティアック M39を開発した[4]。一方、スイスは薬室数を4個に減らしたエリコンKCAを製品化し、後には35mm口径にスケールアップしたKDGも開発したほか、イギリス軍のレッドクイーン計画向けに、7個の薬室を持つシリンダーと2本の砲身を組み合わせた421-Rk 42mm機関砲も試作した[4]。またフランスも、DEFA 550の系譜に属する30 M 791では薬室数を7個としたが、こちらは単砲身のままである[4]。
本家にあたるマウザー社も、専用の27×145mmB弾を使用するBK-27を製品化した[4]。また燃焼式薬莢を用いたテレスコープ弾を採用、燃焼ガスを後ろに噴射して反動を相殺するという、極めて意欲的なRMK30・35も開発・試作したものの、こちらは製品化には至らなかった[6]。
ソビエト連邦でも2種のリボルバーカノンを開発したが、いずれも、何らかの点で特徴的な設計を用いている。艦載機関砲として開発されたNN-30は、典型的なガス圧作動方式ではなく、反動利用式の自動機構を備えている[5]。またツポレフ Tu-22爆撃機の尾部砲塔に装備されたR-23 23mm機関砲では、薬室の前方から装弾する機構を採用した[4]。
ギャラリー
- フランスの30mm DEFA 554
- アメリカのポンティアック M39
- スイスのエリコン KCA
(画像はスウェーデンのサーブ JA37 ヴィゲン戦闘機に搭載されたAkan m/75) - フランスの30 M 791(DEFA 791)
- ツポレフ Tu-22PDのDK-20 銃座
- AK-230艦載機艦砲システムの連装砲塔に搭載されているNN-30
- スイスのエリコン KDG
(画像はスカイレンジャー35の搭載砲)。
