リュック・ポワリエ
カナダのプロレスラー
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来歴
地元モントリオールのレジェンドであるエドワード・カーペンティアとジノ・ブリットのトレーニングを受け、1982年にデビュー[2]。モントリオールを本拠地とするIWAにて、マスクド・マーベル(The Masked Marvel)またはザ・マーセナリー(The Mercenary)を名乗り、覆面レスラーとなって活動した[3][4]。1985年には素顔のリュック・ポワリエ名義でジョバーとしてWWFに出場、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やザ・スポイラーと対戦している[5]。
1980年代後半に渡欧し、オットー・ワンツの主宰するCWAにて、傭兵スタイルのランボー(Rambo)に変身。スティーブ・ライトやデビッド・テイラーなど技巧派のベテラン勢との対戦でキャリアを積み、 大型の外国人ベビーフェイスとして人気を集め、1991年7月6日にはオーストリアのグラーツでブル・パワーからCWA世界ヘビー級王座を奪取[6]。以降も1993年7月3日にロード・ウォリアー・ホーク、1996年12月21日にルドヴィッグ・ボルガを破って戴冠[6]。王者時代はブルーザー・マスティーノ、ケン・パテラ、テリー・ファンク、テッド・デビアス、ザ・ウォーロード、ザ・バーバリアン、パパ・シャンゴ、カクタス・ジャックらの挑戦を退け[2]、CWAのエースとなって活躍した。
日本には1991年1月に「ムッシュ・ランボー」の名義で新日本プロレスに初参戦[1]。その後も新日本の常連外国人選手となり、ビッグバン・ベイダーことブル・パワーとの因縁の対決も日本で再現している[7]。1993年2月の来日時は両国国技館にてトニー・ホームと組み、ヘルレイザーズ(ホーク&パワー・ウォリアー)のIWGPタッグ王座に挑戦した[8]。新日本には1995年3月まで通算6回参戦し、1997年5月には格闘探偵団バトラーツに出場している[9]。
1997年に欧州を離れ(CWA世界王座は7月に返上[6])、テネシー州メンフィスのUSWAに登場[10]。傭兵スタイルはそのままに、スナイパー(Sniper)と改名してヒールに転向し、南アフリカの治安部隊をギミックとしたユニット「トゥルース・コミッション」に加入[11]。同年6月からはWWFに進出して、ザ・ジャッカルをマネージャーにインテロゲーター&リーコンとのトリオで活動、ディサイプルズ・オブ・アポカリプスやリージョン・オブ・ドゥームと軍団抗争を展開した[12]。
1998年4月にWWFを退団し、カナダのインディー団体を転戦後、CWAに再登場。同年12月19日、ドイツのブレーメンにてビッグ・タイトンを破り、CWA世界ヘビー級王座への4度目の戴冠を果たしている[6]。以降、CWAが活動を停止する1999年12月までタイトルを保持し、同王座の最後のチャンピオンとなった[6]。
得意技
獲得タイトル
- CWA世界ヘビー級王座:4回[6]