リューゲン島
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主要都市
バルト海には多数の島が存在し、リューゲン島はバルト海における最大の島ではないものの、バルト海に有るドイツ領の島としては、この島が最大である[1]。ドイツの行政区分においては、メクレンブルク=フォアポンメルン州に属しており、隣接する小島のヒデンゼー島やウンマンツ島などと共に、フォアポンメルン=リューゲン郡に属している。
かつての氷河期の影響を受けており、リューゲン島の南東部にはモレーンの丘陵が見られる。また、完新世に堆積して形成された砂浜や砂州や砂嘴などの影響で、島の海沿いにはラグーンが存在する。このような場所に対応した塩生植物の草地も見られる。また、浅い内陸水域も見られ、ヨシなどの水辺の草が生育している。なお、泥炭地も存在する[2]。このような環境を利用して、渉禽類やガン・カモ類が生活の場としている[2]。
その他の島内の植生としては、 ヨーロッパブナやヨーロッパナラのバルト混合林が見られ、 レッドリスト登載の200種を含む800種を超える植物が島内で生育している[3]。
なお、島付近の海域にはハイイロアザラシ、ムール貝などが棲息している[2][3]。
このような生態系を有する島南東部を含む22.8 km2は、ユネスコにより生物圏保護区に指定された[3]。また、リューゲン島西部およびバルト海の汽水域のボッデン、ヒデンゼー島、ツィングシュト島を含む25.8 km2は、1978年にラムサール条約に登録された[2]。
島内の主要都市は、以下の通りである。
- ベルゲン・アウフ・リューゲン- 島の中心部に位置し、島内交通の要衝である。
- ビンツ - 海浜リゾート地として知られる。
- ザスニッツ - デンマークやスウェーデンへ渡航できる国際フェリーの発着港が存在する。
- プローラ - 第2次世界大戦前の保養施設が残っており、一時期は軍事施設として利用されたものの、観光施設として再生された[4]
リューゲン島との姉妹都市
歴史
この島には紀元前4000年頃から、どの民族かは不明ながら、定住者がいたと確認されている。その後、スカンディナヴィア人とゲルマン人がこの島に移住してきた。彼らが島を離れた後、7世紀にスラヴ人が来島して定住した。三十年戦争中期の1632年にはスウェーデンにより占領され、1648年に三十年戦争の講和条約であるヴェストファーレン条約によってスウェーデン領となった。大北方戦争においては、プロイセン王国に占領されたが、1720年のストックホルム条約によってスウェーデンに返還された。その後もスウェーデンの前線基地として機能してきたが、ナポレオン戦争期のキール条約によって、プロイセンに引き渡され、1945年までフォアポンメルン州の一部であった。
ナチス・ドイツ時代には、全長約4.5 kmの海水浴場などを備えた巨大な保養施設が、プローラに建設された。この保養施設は第2次世界大戦が始まったために使われなかった。ナチス・ドイツ敗戦後は、東ドイツのロストック県に属した。そして、東ドイツ軍兵舎として利用されたものの、軍事利用が終焉してからは、観光施設として再生が進んできた[4]。1990年に起きた東西ドイツの統一後はメクレンブルク・フォアポンメルン州に属し、現在に至る。
なお、バルト海海底を通ってロシアからドイツへ天然ガスを輸送するためのパイプラインである「ノルド・ストリーム2」を、建設するための工場が有る[5]。


