リンディスファーン島

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リンディスファーン城
地図

リンディスファーン島 (リンディスファーンとう、Lindisfarne)は、イギリスノーサンバーランド州にある小島。リンデスファーンともいう。ホリー・アイランド(Holy Island)、ホリー島とも呼ばれ[1]、潮が満ちると島となり、干潮になると土手道で本土とつながるタイダル・アイランドである。ウォルター・スコットがかつて島の記述を残した。2011年調査時の定住人口は180人である。

島の広大な部分と干満の内側域は全て『リンディスファーン国立自然基金』が保護し、重要な渡り鳥たちの聖地となっている。イギリス東岸という立地から東からやってくる渡り鳥観察に適しており、毎年シベリアからやってくる種もある。秋冬には鳥類観察を好む人たちに人気の地である。

1976年1月、リンデスファーン島および付近の海岸はラムサール条約登録地となった。一帯に潮間帯塩性湿地アマモ属英語版藻場および砂丘システムが多く、コクガンなどのガンカモ類越冬地アジサシ類の繁殖地である[2]

歴史

635年頃、ノーサンブリア王オズワルドの要請でスコットランド西岸アイオナからやってきた、アイルランド出身の聖エイダンSaint Aidan)は、島にリンディスファーン修道院を建てた。イングランド北部のキリスト教布教の基地となり、マーシア王国への伝道団を送り成果を上げた。アイオナからやってきた僧たちが島に移り住んだ。ノーサンバーランドの守護聖人、聖カスバート英語版は一僧侶から修道院長となり、数々の奇跡を起こしたといわれる。彼はのちリンディスファーン司教となった。

700年代初頭に『リンディスファーンの福音書』という、マルコ、ルカ、マタイ、ヨハネの福音書のラテン語訳を収めたものが成立している。これはおそらくリンディスファーンで作られ、作者はのちリンディスファーン司教となったイードフリスであるといわれる。1050年代頃、アルフレッドという僧はラテン語の教書にアングロ・サクソン語を書き加えた。古英語で書かれた最も古い教書の写しである。教書はケルト語ゲルマン語ロマン語の要素が混じり合っていた。

793年にリンディスファーンはヴァイキングによる襲撃を受け、この事件はキリスト教西欧社会を震撼させた。ただし、『リンディスファーンの福音書』や聖カスバートの聖遺物といった重要な宝は略奪から難を逃れているため、ヴァイキングの襲撃の危険性について修道士は事前になんらかの警告を受けていたと考えられる[注 1]カール大帝は捕虜とされた修道士のために身代金の準備をしたが、この試みの成否は明らかではない。ともかく修道院はこの一度目の襲撃は乗り越えたのだが、875年に二度目の襲撃を受けるに至り、修道士たちはこの地を棄てて7年間放浪した後にダラムへと落ち着くこととなった。(その時既に埋葬されていた聖カスバートの遺体も共に運ばれ、現在ダラムの大聖堂に安置されている)。リンディスファーンの司教座は1000年にダラムへ移された。リンディスファーンの福音書は現在ロンドン大英図書館に保管されている。[要出典]1081年にはベネディクト会派によって修道院が建設され、1536年にイングランドヘンリー8世修道院解散で取りつぶされるまで続いた。[要出典][3]

現在

安全

脚注

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