リーバップ・クワク・バー

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出生名 Anthony Kwaku Baah
生誕 (1944-02-13) 1944年2月13日
出身地 ガーナの旗 ガーナ コノンゴ
死没 (1983-01-12) 1983年1月12日(38歳没)
リーバップ・クワク・バー
Rebop Kwaku Baah
トラフィックで演奏するバー(1973年)
基本情報
出生名 Anthony Kwaku Baah
生誕 (1944-02-13) 1944年2月13日
出身地 ガーナの旗 ガーナ コノンゴ
死没 (1983-01-12) 1983年1月12日(38歳没)
ジャンル ロックンロールフュージョンジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラムコンガパーカッション
共同作業者 トラフィック
カン
ゼハラ

リーバップ・クワク・バー[注釈 1](Rebop Kwaku Baah[注釈 2]、1944年2月13日[1] - 1983年1月12日)は、ガーナ出身の打楽器奏者である。1970年代にトラフィックカンなどのロック・バンドに在籍した。

ガーナのコノンゴで生まれた[2]

1969年、ランディ・ウェストンのアルバム"African Rhythms"に参加した。同年9月、ニック・ドレイクの楽曲'Three Hours'で演奏した[注釈 3]

1971年、スウェーデンでツアー中だったイングランドトラフィックと出会い、メンバーに迎えられた。『ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ』(1971年)、『シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー』(1973年)、『ホエン・ジ・イーグル・フライズ』(1974年)[注釈 4]の3作のスタジオ・アルバムと、『ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン』(1971年)、『オン・ザ・ロード』(1973年)の2作のライヴ・アルバムに参加した。在籍中の1973年1月13日にロンドンのレインボー・シアターで開かれたエリック・クラプトンのコンサートに、トラフィックの同僚であるスティーヴ・ウィンウッドとジム・キャパルデイと共に出演した[3]

1977年、ウィンウッドの初のソロ・アルバムで演奏。同年、元トラフィックのロスコ・ジー(ベース)と共にドイツのカンに加入。1979年の解散まで在籍して、アルバム『ソウ・ディライト』『アウト・オブ・リーチ』『カン』に参加。

1983年、ゼハラというバンドでアルバムを制作[4]。同年、ジミー・クリフとのツアー中、スウェーデンで公演中に脳出血で亡くなった。最後のソロ・アルバム"Melodies in a Jungle Man's Head"は、未完成で発表された[5][6]

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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