トラフィックは1967年12月にファースト・アルバム『ミスター・ファンタジー(英語版)』を発表。その直後の1968年1月、メイスンはグループを脱退した。彼は次のように述べている[3]。
自分の書いた「
ホール・イン・マイ・シュー」が大ヒットして、そのあとに出したファースト・アルバムも売れて成功を収めた。その頃19歳くらいだったと思うが(注・実際は21歳)、物事があまりに早く進みすぎた。俺は対処の仕方が分からず、それでバンドを辞めてしまった。いささか重荷に感じたわけさ。そしてこれから曲を書いて行くのなら、もう少し人生の経験を積んだっていいだろうと思った。だから鞄ひとつとギターを一本持って
ギリシャに飛んだ。ヒドラ(Hydra)という小さな島に行き、そこで「フィーリン・オールライト」を書いた。音楽的には練習曲みたいなもので、俺はできる限り単純な曲を書いてみようと思った。「ホール・イン・マイ・シュー」や「
ペイパー・サン」などで
シタールを弾いていたことが極力単純な曲を書いてやろうという意欲をかきたてたんだ。そんなわけで「フィーリン・オールライト」はたった2つのコードしか使っていない。
1968年5月、メイスンはトラフィックに再加入。彼等はニューヨークのレコード・プラント・スタジオでセカンド・アルバムを制作し、本曲も録音された。メイスンはアコースティック・ギター、メンバーのスティーヴ・ウィンウッドがピアノとベースを担当した。
同年9月、アルバム発表に先立ってシングルとして発表[注釈 1]され、ビルボード・Hot 100で123位を記録したが、本国イギリスではチャート入りを逃した。10月に発表されたセカンド・アルバム『トラフィック』に収録[4]。
モノラル・ミックスのシングル・バージョンはアルバム『トラフィック』の再発盤CD(2001年)にボーナス・トラックとして収録された。