Wikiwand AI

ルイス・モンテネグロ

From Wikipedia, the free encyclopedia

ルイス・モンテネグロ
2024年
ポルトガルの旗 第120代 ポルトガル共和国首相
就任
2024年4月2日
大統領マルセロ・レベロ・デ・ソウザ
前任者アントニオ・コスタ
野党院内総務
任期
2022年7月3日 – 2024年4月2日
首相アントニオ・コスタ
前任者ルイ・リオ(英語版)
後任者ペドロ・ヌーノ・サントス(英語版)
社会民主党党首
就任
2022年7月3日
書記長ウーゴ・ソアレス
前任者ルイ・リオ
社会民主党院内総務
任期
2011年6月20日 – 2017年6月6日
前任者ミゲル・マセード
後任者ウーゴ・ソアレス
任期
2002年4月4日 – 2018年4月5日
選挙区アヴェイロ選挙区
個人情報
生誕ルイス・フィリペ・モンテネグロ・カルドーゾ・デ・モライス・エステヴェス
(1973-02-16) 1973年2月16日(52歳)
ポルトガル、ポルト
政党社会民主党(1991年 - )
配偶者
カルラ・モンテネグロ(結婚 2000年)
子供2人
出身校ポルトガル・カトリック大学
職業法律家、弁護士

ルイス・フィリペ・モンテネグロ・カルドーゾ・デ・モライス・エステヴェス(ポルトガル語: Luís Filipe Montenegro Cardoso de Morais Esteves、1973年2月16日 - [1])は、ポルトガルの政治家。現在、同国首相(第120代)、社会民主党党首、元共和国議会議員。

共和国議会議員

ポルトに生まれ、アヴェイロ県エスピーニョで育った[2]。祖父と父が法律家であったため、ポルトガル・カトリック大学で法学を学び卒業[3]。1994年から1996年まで、社会民主党青年部のエスピーニョ支部長を務めた。1997年から2001年までエスピーニョ市議を務めたのち、2005年の市長選に立候補したが、社会党候補に得票率45%対38%で敗北した[1][4]。

2002年、アヴェイロ選挙区から29歳にして共和国議会議員に初当選。2010年には社会民主党の副院内総務となり、翌年には得票率86%で院内総務に選出された[5]。

モンテネグロが院内総務となった当時のポルトガルは、金融危機への対処をめぐって欧州委員会、欧州中央銀行、国際通貨基金のいわゆる「トロイカ」との交渉のさなかにあった。これに関連して、2014年1月には「人の命は尊いが、国の命はもっと尊い」などと発言し、批判を受けた[2]。2018年2月の党首選挙で現職のペドロ・パッソス・コエーリョが落選すると、社会民主党は「(新党首の)ルイ・リオ(英語版)のお友達集団になるべきではない」と警告を発して共和国議会議員を辞任した[6]。

社会民主党党首

2020年1月の社会民主党党首選挙には現職リオの対抗馬として立候補したが、リオからフリーメイソンなどと攻撃され[7][8]、決選投票の末に敗北した[9]。

2022年、総選挙の敗北の責任を取ってリオが党首を辞任すると、後任の党首選挙に真っ先に立候補を表明し[10]、元環境相のジョルジェ・モレイラ・ダ・シルヴァ(英語版)を破って得票率72.47%で当選した[11]。

2024年の総選挙には、事前に民主社会中道・人民党と政党連合「民主同盟」を結成して臨み[12]、その結果社会党を2議席上回る79議席を獲得した[13]。選挙戦では、TAPポルトガル航空の完全民営化などを公約に掲げた[14]。2024年4月2日に首相に就任[15]。しかしルイスが設立した企業を2022年の社会民主党党首就任時に妻と二人の子供に譲渡したことについての合法性や利益相反の問題が野党より指摘され、政府は自身の信任決議案を議会に提出。2025年3月11日の採決では賛成88票、反対142票となり、議会は内閣を不信任とした[16]。3月13日に議会は解散され[17]、5月18日に執行された総選挙(英語版)では過半数とはならなかったが、同29日に大統領より組閣を要請された[18]。

人物

選挙結果

脚注

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks