ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォール

From Wikipedia, the free encyclopedia

司祭叙階 1700年7月
出生 (1673-01-31) 1673年1月31日
フランス王国
モンフォール・シュル・ム(Montfort-sur-Meu)
死去 (1716-04-28) 1716年4月28日(43歳没)
フランス王国
サン=ローラン=シュル=セーヴル(Saint-Laurent-sur-Sèvre)
記念日 4月28日
聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォール
Saint Louis de Montfort
古典聖母神学者、司祭、宣教師
聖職
司祭叙階 1700年7月
個人情報
出生 (1673-01-31) 1673年1月31日
フランス王国
モンフォール・シュル・ム(Montfort-sur-Meu)
死去 (1716-04-28) 1716年4月28日(43歳没)
フランス王国
サン=ローラン=シュル=セーヴル(Saint-Laurent-sur-Sèvre)
聖人
記念日 4月28日
称号 証聖者
列福 1888年
列福決定者 教皇レオ13世
列聖 1947年
列聖決定者 教皇ピウス12世
テンプレートを表示

ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールフランス語: Louis-Marie Grignion de Montfort)またはグリニョンド・モンフォールとは、著作・修道院及び学校の創立・福音伝道師など様々な活動を行ったフランスのローマ・カトリック教会司祭である。聴罪司祭や宣教師としてフランス各地を徒歩で巡り、その時代の福音伝道では特に有名な人物である[1]

また、カトリックの古典書となり、幾人のローマ教皇に影響を与えた著書を残したことでも知られる。特に聖母マリアへの深い崇敬、及びロザリオの祈りの実践で知られている[1]

聖母神学の分野の初期に著作活動を行った一人とされており、「聖母の秘密」や「聖母マリアへの誠の信心」[2]には、聖母マリアへの祈祷でもっとも著名なものが収録されている[1]

「マリア宣教会」「英知修道女会」など修道会の創立や、貧しい少年少女のための無料学校の設立も手掛けた[1]

ローマ教皇ピウス12世によって1947年7月20日列聖された[3]。刻像はジャコモ・パリにより作成され、サン・ピエトロ大聖堂に設置されている[1]

天使たちへの崇敬

モンフォールの生地

ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールは、フランスのモンフォール・シュル・ム(Montfort-sur-Meu)で、ジャン・バティスト(Jean-Baptiste )、ジャンヌ・ロベール・グリニョン(Jeanne Robert Grignion)夫妻の18人の子供の長子として生まれた。幼年期のほとんどをモンフォールから数キロ離れた場所で、父親が買った農地のあるイファンディックで過ごした。12歳の時、叔父が教区司祭を務めていたレンヌにあるイエズス会の聖トマス・ベケット大学に入学した。[4]

大学卒業後は大学に残って哲学論理学の勉強を始めた。 地元の司祭・ジュリアン・ベリエ神父(the Abbé Julien Bellier)が巡回宣教師として生きた人生について聞くと、貧困者への宣教を説くよう促された。そして他の司祭たちの導きにより、彼は聖母マリアに対し強い崇敬を抱き始めた。

ある人物の援助により、パリのサン=シュルピス教会の有名なセミナーで勉強する機会を与えられた。[5]1693年の終わり近くにパリに着いたが、支援者から十分な支援金を提供してもらえないことに気付き、下宿生活を送った。その後2年弱、重病にかかり入院生活を余儀なくされた。当時は一般的であった瀉血を受けたが、一命を取り留めている。

入院生活から解放されると、リトルサン・シュルピス神学校(Little Saint-Sulpice)に入る手続きがなされており、1695年に入学した。サン・シュルピスを設立したジャン・ジャック・オリエフランス語版は、霊性フランス学校英語版として知られる事柄について、その指導的唱導者たちの一人だった。

サン・シュルピスの図書館司書となった。この学校で霊性、特にキリスト者の生涯においての聖母マリアの位置づけについて、多くの学説や著作を使って学習する機会を得た。このようにして、後にモンフォールは、聖なるロザリオに焦点を当て、多くの評判を呼んだ著作「ロザリオの秘密英語版」を世に出すこととなった。

パリの神学生時代から、天使への崇敬を知られる存在だった。同級生たちに、自分たちの守護天使に対してもっと尊敬の念を持ち、敏感に接するよう訴えており、手紙の文末には手紙を宛てた相手の守護天使へ「あなたの守護天使に、畏敬を持ってご挨拶いたします。」と添えていた。 後にカトリック教会の司祭となって初めて派遣された先のナント市でも、天使像を見ると崇敬の念をもって挨拶していた。初めて入った村や街でも、これを繰り返して行った[6]

天使に対して崇敬し、熱心に祈る理由の一つとして、純霊への崇敬が修行と教養の不可欠な部分であったことが挙げられる。モンフォールが在籍した大学ではイエズス会修道士である教師たちは、天使への崇敬の祈りを広めようと情熱を燃やしていることで知られていた。在籍した神学校のシュピルス会修道士が指導する授業で、ベリュル(Bérulle)枢機卿とオリエ(Olier)枢機卿の思想を学んだ。この両者は天使に対して深く崇敬しており、授業の中で触れた17、18世紀の天使に関する祈りの手引き、文献の数は、相当数に上るものだった[6]

司祭から伝道者へ

晩年

脚注

Related Articles

Wikiwand AI