ルイ=フレデリック・シュッツェンベルジェ
From Wikipedia, the free encyclopedia
ストラスブールの醸造業を営む家の息子に生まれた。狩猟の帰りに父親の邸をしばしば訪れる客の獲物の動物を、8歳のころのシュッツェンベルジェがチョークで床やテーブルに描いて遊んでいた。客の中のゲラン(Gabriel-Christophe Guérin)という画家がそれを見て、父親に絵を学ばせるのを勧め、ゲランの弟子になり絵を学び始めた。
1842年にゲランの勧めでパリに出て、歴史画家のポール・ドラローシュの工房で学び、1643年にドラローシュがイタリアに移った後は、パリ国立高等美術学校のシャルル・グレールのもとで学んだ。パリではジャン=レオン・ジェローム(1824-1904)やギュスターヴ・ブリオン(Gustave Brion: 1824-1877)、フレデリック・リックス(1830-1897)、ジャン=ルイ・アモン(1821-1874)、オーギュスト・トゥールムーシュ(1829-1890)らと同時期に修行時代をすごした。
1848年に美術学校で賞を得て、1850年にパリのサロンで初展示し、3等のメダルを受賞した[1]。1852年にサロンに歴史画を出展し、メダルを受賞した。シュッツェンベルジェの「Danse grecque」という作品は国に買い上げられ、リュクサンブール美術館に収蔵された[2]。
1861年にローマへ旅し、1年以上滞在した。 パリに戻り、1862年に工房を開き数年間、パリで活動した後、パリを離れストラスブールに戻った。バ=ラン県のScharrachbergheim-Irmstettに1870年から1885年の間 所有した邸にスタジオを設けて[3]、肖像画や風俗画、風景画を描いた。
1870年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した[2]。
1903年にストラスブールで77歳で亡くなった。
いとこのルネ・シュッツェンベルジェ(1860-1916)も画家になった。