ルシア・ドス・サントス

From Wikipedia, the free encyclopedia

他言語表記 Lúcia de Jesus dos Santos
死没 (2005-02-13) 2005年2月13日(97歳没)
ポルトガルの旗 ポルトガル
コインブラ
ルシア・ドス・サントス
ルシア・ドス・サントス(左)、フランシスコ、ジャシンタ。1917年撮影
尊者
他言語表記 Lúcia de Jesus dos Santos
生誕 1907年3月22日
ポルトガル王国の旗 ポルトガル王国
ファティマ
死没 (2005-02-13) 2005年2月13日(97歳没)
ポルトガルの旗 ポルトガル
コインブラ
テンプレートを表示

ルシア・デ・ジェズス・ドス・サントスLúcia de Jesus dos Santos 1907年3月22日2005年2月13日)は、ポルトガルファティマにおける聖母出現の目撃者の一人で、カトリック修道女カルメル会)。ルシアは3人の目撃者の中で唯一、長命であった。

ルシアはカトリック信者である両親のもと、ファティマで生まれる[1]。ルシアが最初に不思議な経験をし始めるのが1915年4月から10月にかけてのことである。友人と一緒に遊んでいるときに天使を幻視する。その後、1917年5月13日の日曜日。従兄妹であるフランシスコ・マルトジャシンタの兄妹と一緒に羊の番をしているときに3人の前に『聖母』が現れた。その『聖母』は3人の子供たちに予言を残し消えていった。それから毎月13日にかけて聖母は現れた[2]。(ファティマの聖母

聖母の予言通り、フランシスコは1919年4月4日、ジャシンタは1920年2月20日に流行の病でそれぞれこの世を去る。ルシアはドロテア(Doroteia)修道会に入り、カトリックの修道女となる。1948年、カルメル会に入会する。1981年、教皇ヨハネ・パウロ2世が銃撃され、一命をとりとめたのは、ファティマの聖母の記念日である5月13日であった。回復後、教皇は摘出された弾丸を聖地となったファティマに奉納し、2000年にフランシスコ、ジャシンタ兄妹を列福した。また、ルシアは後年ヨハネ・パウロ2世と会っている。ルシアは2005年2月13日に死去した[3]

『聖母』が残した予言の中で3つが有名で、1つ目が第一次世界大戦の終結、2つ目がロシア帝国の崩壊と共産主義の台頭、3つ目が「第3の秘密」である。長年の間バチカンによって封印されてきた。2000年6月、教皇庁は教皇ヨハネ・パウロ2世の決定により、ファティマ第3のメッセージを正式に発表した[4]

死後

彼女の死後3年が経過して、2008年2月13日には教皇ベネディクト16世が彼女の列福調査の開始を許可した。通常、列福調査は該当者の死後5年経過しないと始まらないが、教皇はルシア修道女に関して特別に免除した。早期列福の調査は前教皇ヨハネ・パウロ2世マザー・テレサに次ぐものとなる[5]

2023年6月22日、教皇フランシスコはルシア修道女の英雄的徳を認め、「尊者」の敬称を受ける事を教皇庁列聖省が発表した[6]

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI