レイジー・レスター
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| レイジー・レスター | |
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レイジー・レスター (2004年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Leslie Carswell Johnson[1][2] |
| 生誕 | |
| 死没 | |
| ジャンル | ブルース |
| 職業 | シンガー、ハーモニカ奏者 |
| 担当楽器 | ハーモニカ、ギター、ドラムス |
| 活動期間 | 1950年代 - 2018年 |
| レーベル | エクセロ、ブルー・ホライズン、アリゲーター、アントンズ |
| 公式サイト |
www |
レイジー・レスター(Lazy Lester、1933年6月20日 - 2018年8月22日[3])は、アメリカ合衆国のブルース・シンガー、ハーモニカ奏者である。本名レズリー・カースウェル・ジョンソン。1950年代よりエクセロ・レコードで活躍した。ニューヨーク・タイムズは彼を「スワンプ・ブルースの創設者」と称賛している[4]。
エクセロでの活躍
レイジー・レスターは、1933年6月20日、ルイジアナ州トーラスに生まれた[3]。バトンルージュ郊外のスコットランドヴィルで幼少期を過ごした彼は、兄からギターを教わった[5]、続いてハーモニカも覚え、ジミー・リードやリトル・ウォルターに影響を受けながら腕を磨いた[3]。間もなく自身のバンド、リズム・ロッカーズを率いてハイスクールのダンス・パーティーに出演するようになった[5]。
転機が訪れたのは1950年代半ばのこと。バスでライトニン・スリムの隣に乗り合わせ、彼と知り合うことになった。スリムのハーモニカ奏者として活動することになったレスターは、スリムからエクセロ・レコードのプロデューサー、J.D.ミラーを紹介された。芸名「レイジー・レスター」は、ミラーがのんびり屋な性格の彼を見て名付けたものであった[6]。
エクセロではスタジオ・ミュージシャンとして重宝され、ライトニン・スリムはもちろんのことケイティ・ウェブスター、スリム・ハーポなどのセッションでも演奏している[6]。間もなく、自己名義の作品も制作するようになり、1956年にエクセロよりシングル「I'm Gonna Leave You Baby」でデビューを果たした[7]。
音楽活動からの一時引退
1958年にはキンクスのカヴァーで知られる「I'm A Lover Not A Fighter」を発売[6]。1960年代に入ってもエクセロよりシングルを発表し続けるが、レコードの収入が少ないことに嫌気が指し、1967年のエクセロのアルバム『True Blues』を最後に音楽活動から離れた[4]。ルイジアナ州を離れシカゴに移住し、一度南部に戻ったのち、先に移住していたライトニン・スリムを追いかける形で、ミシガン州ポンティアックに移り住んだ[4][5]。引退後は様々な職を転々とし、スリム・ハーポの妹と結婚している[5]。
カムバック
その後もデトロイトでギグを行なうこともあったものの、本格的な復活は1987年まで待つこととなった。同年イギリス・ツアーを敢行。ブルー・ホライズン・レコードより20年ぶりの新譜『Lazy Lester Rides Again』をリリースした。翌年には米国のアリゲーター・レコードから『Harp & Soul』をリリース。活動を完全に再開させる形となった[6]。
その後はアントンズ・レコードなどからも新譜をリリース。2000年には日本公演も行なった[8]。
2015年には、ミシシッピ州、ルイジアナ州のブルース・シーンを紹介する音楽映画「I AM THE BLUES アイ・アム・ザ・ブルース」に出演(日本公開は2018年)[9][10]。2018年には米国の保険会社ガイコのCMに出演した[11]。
死去
晩年まで活動は続いていたが、2018年8月22日、長年住んでいたカリフォルニア州パラダイスの自宅にて85歳で死去した。胃がんで闘病中だった[12]。