レオンハルト・カウピッシュ

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入隊から

彼は1898年ドイツ帝国陸軍に入隊し、1899年少尉に昇進した。1907年から1909年までリヒターフェルデの軍学校で訓練したのち中尉に昇進。1911年からはベルリン参謀本部に従事し、1914年大尉に昇進した。

第一次世界大戦

第一次世界大戦では参謀本部で働き、徐々に功績をあげ1917年に少佐へと昇進した。同時期に二級鉄十字章ホーエンツォレルン家勲章を受賞している。

戦間期

第一次世界大戦の後、彼はヴァイマル共和国軍へ入隊し、1923年に第7砲兵連隊司令官へ就任、同年中佐へと昇進した。1927年大佐へと昇進した彼はユーターボークの砲兵学校へ異動になった。彼は1932年に中将へ昇進するまで砲兵学校勤務を続けた。

1934年4月1日ドイツ国防軍空軍へと転属した彼は、1935年12月に航空兵大将へ昇進。1938年3月末に一度空軍から離れるも1939年前半には陸軍に復帰した。

第二次世界大戦

1939年9月半ば、彼はダンツィヒ=西プロイセン帝国大管区の軍政長官に任じられた。

1939年11月、第1国境警備司令部が軍団司令部格の第31高級司令部(Höheres Kommando z.b.V. XXXI)に改組されると、カウビッシュはその司令官となった。この司令部は1940年4月9日ヴェーザー演習作戦において、デンマークの占領を指揮した(デンマーク占領作戦はWeserübung Südとも呼ばれ、ヴェーザー演習作戦の一部である)。彼は、ドイツ軍機がデンマークにばらまいた投降勧告を呼びかけるビラOPROP!英語版に署名している。

1940年4月12日から6月1日までデンマーク占領軍司令官として勤務し、その後は司令部とともにフランス侵攻作戦に参加した。1940年9月、砲兵大将に昇進。1942年4月10日に軍を退役するまで、そのままフランス占領部隊の一部を率いた。

戦後

第三帝国の終焉を悟った彼は、家族とともにベルリン・ウエストエンドへ移り、ヴァイマルの南10キロほどの温泉街バート・ベルカで静かに過ごした[1]。彼が移った直後の1945年5月、ドイツは降伏し、都市は次々とアメリカ軍に占領されたが、ヴァイマルはソ連軍に占領された。その夏、彼が退役した軍人であり、終戦まで平和な私生活を送っていたことに気が付いたデンマークのジャーナリストから取材を受けた[2]。即座に彼はソ連軍に逮捕され、ヴァイマルの焼けるような暑さの中を歩かされた。収容所の手荒い対応もあり彼の体調は悪化していき、1945年9月26日、妻の介抱むなしく彼は収容所で死去した[1]

叙勲

脚注

参考文献

関連項目

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