レムシャイト市電
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歴史
レムシャイト市内に最初の路面電車路線が開通したのは1893年7月9日で、開業に先立つ1892年に設立されたレムシャイト路面電車会社(AG Remscheider Straßenbahn)が所有するこの路線はドイツ西部地域における最初の電化軌道となった。以降、この路面電車は順次延伸を続け、1910年代にはレムシャイト各地に広がる路線網が築かれていた。また、当初開通した路線が経由していたビスマルク通り(Bismarckstraße)には急坂(107.99 ‰)が存在し、開通当時ラックレールを使わない粘着式鉄道としてはドイツで最も急勾配であった。その後、レムシャイト市は路面電車会社の株式を所得したうえで電気事業を加えた「レムシャイト市電気工事・路面電車会社(Elektrizitätswerk und Straßenbahn der Stadt Remscheid)」とし、その後ガス・水道事業が加わった事で「レムシャイト市営事業所(Städtischen Werke Remscheid)」となった[1][2][3]。
一方、それに先立つ1890年、ヴェルメルスキルヒェン(Wermelskirchen)とレムシャイトのブルク城(Burg)を結ぶ、蒸気機関車を用いた鉄道路線が開通した。この路線の運営権は1897年に西ドイツ鉄道会社(Westdeutsche Eisenbahn-Gesellschaft)へ引き継がれ、1900年には路線の電化が実施された。同年には運営事業者がドイツ各地の鉄道を運営していた統合軽便鉄道会社(Vereinigte Kleinbahnen AG)に変更され、更なる延伸やバルメン(現:ヴッパータール)の路面電車やゾーリンゲンの路面電車への接続も行われたが、同社が1921年に破産した事を受け、1922年にレムシャイト路面電車会社が運行する事となった[2][3][4][6]。
その後、ハイパーインフレーションの影響による運行の中断が起きたものの、一部区間を除いて1924年以降順次営業運転を再開した他、同年代には再度路線網の拡張が行われた。これにより、1929年には総延長が45.29 kmと最大規模に達した。利用客数も増加し、付随車を牽引する運用も行われるようになった。第二次世界大戦中は石炭や郵便輸送も行われたが、空襲によりレムシャイト市内の路面電車網は甚大な被害を受け、戦後初期は復興に費やされた他、その過程で急勾配区間を廃止する形での経路変更も行われた[1][2][4]。
戦後の1951年にはヴッパータールの路面電車との共同運行による、レムシャイトとヴッパータールの直通運転も開始されたが、輸送力不足や施設の老朽化などが起因となり、同年代からレムシャイト市内の路面電車路線は相次いで廃止が行われ、輸送力や機動力に長けた路線バスへと置き換えられていき、ヴッパータールからの直通路線も1965年に廃止された。そんな中、ハステンとブルク城を結んでいた3号線に関しては当時の路線バスの出力では安定した走行や加減速が難しい急勾配が存在しており、1960年には新型電車の導入も実施された。だが、この路線についても同年以降順次路線を縮小していき、最後に残されたハステン - エーリングハウゼン(Erhinghausen)間も1969年4月10日をもって営業運転を終了した[1][2][4][7]。
市電の廃止後、最後まで3号線で使用されていたヴェストヴァゴン(Westwaggon)製の6両(101 - 106)の連節車(2車体連接車、両運転台)については、全車ともダルムシュタットの路面電車(ダルムシュタット市電)へ譲渡され、左側の扉の封鎖やパンタグラフの移設など線形に適応させる工事を受け1992年まで営業運転に使われた。そして同年5月の引退後、1両(レムシャイト市電の番号:106→ダルムシュタット市電の番号:66)はベルギッシェス路面電車博物館に収蔵され、2026年現在は動態保存に向けた修復作業が行われている[8][9]。
- ベルギッシェス路面電車博物館に保存されている連節車(2005年撮影)