レモンの聖母
From Wikipedia, the free encyclopedia
| イタリア語: La Madonna dei Limoni 英語: The Madonna of Lemons | |
| 作者 | アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ |
|---|---|
| 製作年 | 1511年頃 |
| 種類 | フレスコ画(後にキャンバス[1]) |
| 寸法 | 94.5 cm × 111.5 cm (37.2 in × 43.9 in) |
| 所蔵 | エステンセ美術館、モデナ |
『レモンの聖母』(レモンのせいぼ、伊: La Madonna dei Limoni[1][2][3], 英: The Madonna of Lemons)として知られる『聖母子と聖フランチェスコ、聖クイリヌス』(せいぼしとせいフランチェスコ、せいクイリヌス、伊: La Madonna col Bambino i Santi Francesco e Quirino[2], 英: The Madonna and Child with Saints Francis and Quirinus)は、ルネサンス期のイタリアのパルマ派の画家コレッジョが1511年頃に制作した絵画である。フレスコ画。コレッジョの最初期の作品とされるが、帰属については疑問が残る[1][4]。フレスコ画が描かれた正確な場所は不明で、16世紀には本来の場所からコッレッジョのサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会に移されていた。現在はモデナのエステンセ美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。
制作背景



豊かに実ったレモンの果樹園でゆったりと憩う聖母子と2人の聖人が描かれている。2人の聖人はコッレッジョの信仰と密接に結びついていたアッシジの聖フランチェスコとローマの聖クイリヌスである。聖母子と聖人たちの背後には、果実が実った緑豊かなレモンの木の垣根が広がっている[2]。マントをまとった聖母マリアは果樹園の中にある岩の上に座り、幼児のイエス・キリストを膝の上に抱いている。聖母マリアの足元には2羽のウサギが遊んでいる。画面左の天使はサクランボの入った籠を聖母子に差し出しており、キリストは手を伸ばしてそれを口に運んでいる。聖母子の背後では聖フランチェスコと聖クイリヌスが座っている。聖フランチェスコは右手を胸に当てながらキリストに語りかけている。聖クイリヌスは右手に同都市の雛型が置かれた小板を、左手に司教冠を持っている[2][3]。コッレッジョの守護聖人とされる聖クイリヌスは都市を聖母マリアに捧げることでその保護を請願しており、同席している聖フランチェスコもその奉献に同意しているように見える[4]。都市の雛型は城壁で囲まれ、その内側にサン・フランチェスコ教会の鐘楼と軍事目的の塔が見える。画面右下には2行にわたる短い碑文「ABDNDF MCCCCCXI」を記した紙片が描かれている[2]。
アンドレア・マンテーニャから影響を受けた初期の作品と見なされている[1][4]。構図で最も重視されているのは聖母マリアである。三位一体のうちイエス・キリストとして現れた子なる神の母である聖母マリアは、神の計画の中心的存在として画面中央に配置されている[2]。
画面に描かれたレモンの木(オレンジとも[2])、ウサギ、サクランボは、いずれもキリスト教の伝統的なシンボルである。レモンの木は聖母マリアと結びつけられ、しばしば聖母マリアとともに描かれた[5]。コレッジョは1515年頃にもシカゴ美術館所蔵の『聖母子と幼児聖ヨハネ』(La Madonna col Bambino e san Giovannino)でもレモンの木を描いている[6]。聖母の足元にいるウサギも同様で、純潔の勝利を象徴する[7]。これに対してサクランボはキリストの受難を予言する典型的な果物である[2]。その一方でサクランボは「天国の果物」と呼ばれ、しばしばサクランボを持った幼児のキリストが描かれたほか[8]、聖母マリアの純潔を称えるために聖母画に描かれた[9]。
保存状態は悪く、聖母子を中心とする中央部分のみが現存している[2]。
発注に関する文書は現存しておらず、依頼主や制作経緯などの詳細は不明である。ただし、碑文に記された文字列のうち後半部分の「MCCCCCXI」は「1511」を表すローマ数字であり、制作年代が1511年であることははっきりしている。「ABDNDF」は以前は「Antonius Bartolotti De Nostra Devotione Facta」の略とされ、合わせて「アントオ・バルトロッティ、私たちの献身について。1511年」という意味であると考えられていた[4]。1511年、コッレッジョではペストが流行した。都市を聖母マリアに捧げようとしている聖クイリヌスの描写は、コッレッジョが恐ろしい災厄に襲われたことを暗示しており[4]、ペストの猛威が去ったことを聖母マリアに感謝する意図から制作されたと考えられる[1][2][4]。
帰属
紙片の碑文に現れるアントオ・バルトロッティ(Antonius Bartolotti)は若いコレッジョの師であった可能性があるコッレッジョ出身の画家である。そのため本作品はバルトロッティに帰属され、コレッジョの初期作品と類似することが認められていた[4]。今日、コレッジョへの帰属を支持する研究者にとって、紙片に描かれた碑文を解釈することは難題となっている[2]。彼らは若いコレッジョが1507年頃にマントヴァのサンタンドレア大聖堂・マンテーニャ埋葬礼拝堂のフレスコ画装飾で描いたとされるペンデンティブの4点の聖人画との類似性を根拠としている。たとえば、美術評論家ルイジ・フィカッチは1984年に両作品は同一の様式という否定できない関係性があることを強調した。つまり若いコレッジョは「マンテーニャ風の伝統的様式に甘美な短縮を同化させている」[2]。しかし保存状態の悪さのため、コレッジョへの帰属について研究者の見解は一致していない[1][2]。
来歴
本作品はサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会とは別の建築物のために描かれた壁画である。フレスコ画が描かれた場所については推測されているものの、正確な場所は不明である。聖クイリヌスが画面に登場することから、おそらくサン・クイリーノ参事会教会(Collegiata di San Quirino)の壁面に描かれていたのではないかと考えられている[2][3][4]。しかし16世紀のうちに本来の場所からはがされ、サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会に移されると、『四聖人』(Quattro santi)や『ミゼルコルディア三連祭壇画』(Trittico della Misericordia)とともに同教会が所蔵する3点のコレッジョ作品の1つとなった[3]。記録によると『レモンの聖母』は教会の壁に鉄の器具で固定されていた[2][3]。1746年にモデナ=レッジョ公爵フランチェスコ3世・デステがエステ家が所有するコレクションの中から最も優れた100点もの絵画作品をザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世に売却した。この「ドレスデン・セール」の後、フランチェスコ3世の息子エルコレ3世・デステはエステ家のコレクションから失われたコレッジョ作品を取り返すため、1787年、本作品をサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会から盗み出した[1][2][3]。モデナのドゥカーレ宮殿では「栄光の大広間」(Salone d’onore)の暖炉に設置されていた[1]。のちに最後のモデナ公爵フランチェスコ5世によって設立されたエステンセ美術館に収蔵された[1]。
ギャラリー
- マンテーニャ埋葬礼拝堂の聖人画
- 「福音書記者聖ヨハネ」1507年頃 サンタンドレア大聖堂
- 「福音書記者聖マタイ」1507年頃 サンタンドレア大聖堂
- 「福音書記者聖ルカ」1507年頃 サンタンドレア大聖堂
- 「福音書記者聖マルコ」1507年頃 サンタンドレア大聖堂
- 関連作品
- 『ミゼルコルディア三連祭壇画』(復元図)1525年頃