ロマン・ロラン研究所
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| ロマン・ロラン研究所 | |
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| 正式名称 | 一般財団法人ロマン・ロラン研究所 |
| 日本語名称 | ロマン・ロラン研究所 |
| 所在地 |
日本 〒606-8407 京都府京都市左京区銀閣寺前町32 |
| 理事長 | 西成勝好 |
| 設立年月日 | 1971年1月 |
| 前身 | 日本・ロマン・ロランの友の会 |
| 設立者 | 宮本正清 |
| 発行雑誌 | ユニテ |
| 特記事項 | フランス語名称;Institut Romain Rolland |
| 公式サイト | https://institut-romain-rolland.jp/ |
ロマン・ロラン研究所(ロマン・ロランけんきゅうじょ、仏;Institut Romain Rolland)はフランスの文豪ロマン・ロラン(Romain Rolland, 1866年1月29日 - 1944年12月30日)の著作と思想の普及を目的とする一般財団法人。所在地;京都府京都市左京区銀閣寺前町32。
日本・ロマン・ロランの友の会設立の経緯
日本・ロマン・ロランの友の会は「ロマン・ロランの人格と仕事に対する共感をもつ人々の集まりとして」[3]1949年6月に東京で発足した[4]。発足当初の会の委員長は片山敏彦、副委員長は宮本正清であり、以下、委員、顧問、評議員から成る組織であった[5]。日本・ロマン・ロランの友の会発足の経緯は、1944年12月30日のロマン・ロランの死、及びフランスでの「ロマン・ロランの友の会」(Association des Amis de Romain Rolland) の設立[6]を抜きに語ることはできない。

日本・ロマン・ロランの友の会の立ち上げに際して、委員長の片山敏彦が記した「ロマン・ロランの友の會について」と題するマニフェストの中で以下のようにフランスの会を紹介している。
『ジャン・クリストフ』の作者ロマン・ロランは一九四四年の暮にフランスのヴェズレーで没した。パリにいる旧友高田博厚から私への手紙によれば、ロランの報を知ると「敵も味方も大騒ぎで」彼の死の瞬間から「全部が味方になった」その数ヶ月後に未亡人マリー・ロランはロマンの妹マドレーヌ(その俤(おもかげ)は『クリストフ』の中のアントワネットに反映している)と共に故人の精神の遺産を守りひろげるために「ロマン・ロランの友の会」をパリに設立した。既に欧米のみならずエジプトとインドにも同名の会が作られていることは、ロランの人格と仕事との影響力がいかに普遍的で深いものであるかを示す。 ロラン夫人の書簡によれば、これは絶対に政治に関らない文化サークルとして人間友愛の立場から国際理解に努める会であって、イデオロギーや形而上観の相違を超越して、むしろできる限り多様な傾向を含み、ただしロランへの共感を基礎として、精神的と即実的と二様の仕事を進めて行く。 ロラン精神の基本的な幾つかのものをロラン夫人は次のように挙げていられる―
一 世界精神(ユニヴェルサリスム)
一 人間的友愛感
一 正義への信仰と寛容の心
一 或る深い理想精神の感情あるいは宗教感情
一 宗教感情にもとづく精神独立性『ロマン・ロランの友の會について』(1949) [7]
フランスにおける以上のような展開を背景に日本・ロマン・ロランの友の会は設立された。日本・ロマン・ロランの友の会はフランスのロマン・ロラン友の会の支部ではないが[8] 、常にフランスの会と直接の連絡を保って、文化的世界精神や創造活動の道を独自に歩む[9]こととした。日本・ロマン・ロランの友の会の設立当初、京都では毎月若い学生が集い、宮本を囲んでロランの著作を読み、ロランを語り合った[10]という。
日本・ロマン・ロランの友の会の発足時、東京以外でも日本各地に会の支部が作られた。その中でも、京都支部は会員数約50人で1949年7月に発足し、東京本部約90人に次ぐ規模となった。東京、京都のほか、東北、富山、長野、神奈川、静岡、名古屋、三重、和歌山、宇部、高知、福岡、大阪の各支部が誕生し、活動してきたが、東京本部が1960年前後に活動を終え、存続しているのは京都支部だけとなり、日本・ロマン・ロランの友の会を継続して活動を続けることとなった。活動状況を伝える主な資料は機関誌『ユニテ』である[11]。
ロマン・ロラン研究所の歴史
これまでの友の会の活動を基盤にして、ロマン・ロランの精神を恒久化するため1971年1月、宮本正清は印税を基に財団法人ロマン・ロラン研究所を設立した。

その際、宮本は「財団法人ロマン・ロラン研究所設立趣意書」を記し、ロランの思想と芸術の継承の意義を説いている。以下がその全文である。
財団法人ロマン・ロラン研究所設立趣意書
ロマン・ロラン(1866-1944)は、日本人にもっとも強く深い、精神的、道徳的影響を与えたヨーロッパの芸術家の一人であります。武者小路実篤、志賀直哉等の白樺派の人々をはじめ、高村光太郎、尾崎喜八、大仏次郎、小島政二郎その他の作家、音楽家、画家、彫刻家、さらに科学者、実業各方面にいたるまで、その青春時代をロマン・ロランの思想、芸術の光に照らされ、人格的感化陶冶を受けた者は枚挙にいとまないのであります。しかし、ロマン・ロランの真の偉大さと、存在価値は、たんに文学的分野にとどまるのではなく、むしろその博大な人間愛にあります。人種、文化、文明等のあらゆる国境を超えて、真に世界的、人類的である彼の愛の精神は、「ジャン・クリストフ」「魅せられたる魂」その他の小説、戯曲、伝記、文学的、音楽的、歴史的研究のみならず、現代社会のあらゆる不正と戦うために、人権と自由を擁護するために、多くの政治的、社会的論争を生涯つづけました。さらに、ロランは、東洋と西洋、ヨーロッパとアジアとの相互理解、信頼、尊敬と両者の協力が、人類の進歩と平和のために、いかに必要であるかを説き、われわれの文明を堕落と頽廃から救いうる唯一の道は、アジアとヨーロッパが、あたかも車の両輪のように支持し合い、各人種、各国民がユニークな文明、固有の伝統を尊重、保存して、人類全体の偉大な共有財産として、現在のそれに勝る大文明を創造すべきだと言っております。ロランはインドの哲学、宗教を研究した数巻にわたる著述の中で、東洋の精神のもっとも深遠で高邁なものは、西洋のそれと本質的に異なるものでないばかりか、両者がほとんど完全に一致していることを実証しております。このような思想家、芸術家、偉大な人間が、わが日本において、半世紀以上にわたって、変わることなく、今もなお、青年層に親しまれ、愛読され、尊敬されていることは、日本のために、喜ぶべきことと信ずるのであります。
1970 年 12 月 [12]
活動はこれまでの例会であるロランの作品を読んで学習する伝統の輪読、読書会に公開講演を加え二本立てにして、あわせてロマン・ロラン・セミナーとした。読書会はロマン・ロラン研究所で、公開講演は講師を招き関西日仏学館で開催した。その他、音楽会なども定期的に催す[13]こととし、これらの活動は2025年現在に至るまで継続している。 そのほか、原書講読会やロランの足跡を訪ねる旅も試みられたが、1982年の宮本の死後は理事の高齢化もあって、研究所の活動は息も絶えようとしていた[14]。たまたま1988年1月に尾埜善司が日本経済新聞の依頼に応じ、その全国版にロランについてのエッセイを寄稿し、研究所の現状にも言及したところ、日本各地の読者からロランから受けた恵みを語り、研究所の活動再開を願う手紙が連日寄せられた。これが機縁となって同年4月、新しく役員が選任され、翌年春からセミナー読書会が再開されると共に1年5回にわたる「ロマン・ロラン・セミナー公開講座」が企画実行された[15]。公開講座は毎回熱気をはらみ、若い世代の切実な質疑も活発であった。1990年時点で運営資金が乏しかったため、賛助会費制が設けられた[16]。賛助会員制度は2025年現在も継続しており、会員数は約70名である。 また、宮本正清の未亡人宮本ヱイ子はロマン・ロラン研究所の存続に尽力し、京都とフランスの交流をまとめた『京都ふらんす事始め』(1986) [17] を出版し、正清翻案の『ジャン・クリストフ物語』(2024) [18]を補訂した。
