ロンドンビール洪水
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事故は、トテナム・コート・ロード[1][2]にあるホースシュー醸造所[2]で起こった。醸造所は、セントジャイルス貧民街の救貧院と長屋の間に建っていて、従業員やその家族が地下室で起居していた。
事故当日の午後4時30分頃、醸造所の従業員であるジョージ・クリックが黒ビールの入った大樽の検査をしていたところ、樽から箍(たが)が落ちたことに気づいた。大樽の箍が外れることは年間2~3回あることから、クリックから報告を受けた上司は「後日箍の修理を依頼すれば問題ない」とした。
クリックが上司に従い修理依頼の手紙を書いていた5時30分頃、ビールの発酵に伴う大樽内の圧力の上昇が限界に達し破大樽が破裂。そしてこの破裂に誘発され、醸造所内のビール樽が次々に破壊された。大樽にどの程度のビールが蓄えられていたかは議論があるところだが、ビールは津波の如く醸造所から屋外に溢れ出した。これによって2つの家屋が全壊して、隣接するタヴィストック・アームス・パブの壁の倒壊で14歳のエレノア・クーパーが圧死した[3]。
そして、この災害最大の被害はニューストリートで発生した。ビールの津波は、お茶の最中だったメアリー・バンフィールドとその4歳の娘のハンナをさらい、二人は溺死。さらに家を崩壊させ、葬儀のために地下室に集まっていたアン・サヴィルを含む5名が亡くなった。結果、このビール洪水により8名が死亡した[4][5]。
事故の2日後、調査のために陪審が招集された。陪審は事故は「天災(Act of God)」であり、犠牲者は「偶然、偶発的、そして不運」に亡くなったという評決を下した。これにより、醸造所は犠牲者への損害賠償を免れた。
また、醸造所は噴出した数千バレルのビールに対する物品税を納付済みであったことから、一時期事業継続が危ぶまれた。しかし、経営者が英国議会に請願し、損失分のビールの税金について返還が認められた[6]。
醸造所は1922年に解体され、跡地には現在ドミニオン・シアターが建っている。
