ローレライ (ハイネの詩)

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ハイネの詩集にある、ブリュ―ニングによるローレライの挿絵

『ローレライ』又は『ローレライの歌』(Die Lore-Ley bzw. Lied von der Loreley)は、ハインリヒ・ハイネが1824年に書いた詩で、フリードリヒ・ジルヒャー作曲の歌曲(1837年)として広く知られている[1]。この歌は、ライン川を見下ろす同名の岩の上に座る「美しい乙女」の物語である。ハイネは1801年にクレメンス・ブレンターノの著した芸術伝承(ローレライ)に基づいて作詩した。この詩と歌はラインロマン主義英語版の表現をしている。

この詩は1827年に刊行された詩集『歌の本』の中の「帰郷」という作品群に収められている[2]。この時点でこの作品にタイトルは無かったが、1837年に「ローレライ」と名付けられたと考えられる[3]

Ich weiß nicht, was soll es bedeuten,
Daß ich so traurig bin;
Ein Mährchen aus alten Zeiten,
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.

Die Luft ist kühl und es dunkelt,
Und ruhig fließt der Rhein;
Der Gipfel des Berges funkelt
Im Abendsonnenschein.

Die schönste Jungfrau sitzet
Dort oben wunderbar[;]
Ihr gold’nes Geschmeide blitzet,
Sie kämmt ihr gold’nes Haar.

Sie kämmt es mit gold’nem Kamme,
Und singt ein Lied dabei;
Das hat eine wundersame,
Gewaltige Melodei.

Den Schiffer im kleinen Schiffe
Ergreift es mit wildem Weh;
Er schaut nicht die Felsenriffe,
Er schaut nur hinauf in die Höh’.

Ich glaube, die Wellen verschlingen
Am Ende Schiffer und Kahn;
Und das hat mit ihrem Singen
Die Lore-Ley gethan.[4]

(Buch der Lieder, 1827)

解説

失恋と非難の中心テーマに関しては、この詩には自伝的作品の要素を見る人があり(アマーリエの経験)、金の櫛で髪をとかすのはナルシシズムの行為と解釈され、何よりグリム兄弟グリム童話にある『がちょう番の女』(KHM89)の重要な場面や、ハイネの『ドイツ冬物語ドイツ語版』(第14章)とも関連している。詩の中に、ローレライの姿に体現されたロマン主義や、ロマン派の詩に対するハイネの対決を見る人もいる[5]。 

作曲

19世紀の間に、ハイネの詩には40以上の曲がつけられた。しかし最も有名なのは、1837年のフリードリヒ・ジルヒャーによるものであった[6]。ジルヒャーは当初三声の曲を書いたが、翌年には男声四声に改めた[7]。ケルン男声合唱協会はこの曲をしばしば歌い、大成功を収めた。1855年に合唱協会がパリへ旅行した際、団員が病床のハイネを訪ね、この曲を歌っている[8]

フランツ・リストも『ローレライ』(Searle 273)という曲名のピアノと声楽のための歌曲を1841年に、そして改訂版を1856年に作曲している。リストはまた、1861年にピアノソロの曲(Searle 532)に編曲し、さらに1860年には声楽とオーケストラのための歌曲(Searle 369)に編曲している。音による描写と繊細な表現において、リストの作品はジルヒャーのシンプルな民謡風歌曲と比較することはできない[9]クララ・シューマンも1943年にピアノと声楽のための歌曲を作曲している[10]フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディは1843年にこのテーマのオペラを計画した(作品98、未完)。ベルリンの作曲家パウル・リンケは1900年に、『ローレライ嬢』という題のオペレッタを初演した。

もう一つ重要なのは、ヨーゼフ・ネッツァードイツ語版の、テノール、バス、クラリネット(又はホルン)、ピアノという特殊な編成の楽曲である。この曲はチロルの作曲家ネッツァーのもっとも重要な作品と考えられている[11]

受容

ハイネの『ローレライ』は長い間、特に19世紀を通して、感傷的な民謡として受容されていた。ドイツ文学者ワルター・A・ベーレントゾーンドイツ語版は、この歌はとても人気があったので、ナチズム第三帝国でも詩集から削除はされなかったと主張した。しかしハインリッヒ・ハイネはユダヤ人であり、彼の作品は発禁処分になった。この作品は「無名のドイツ詩人」によるものとされた[12]。この主張は、1947年にヘルベルト・オイレンベルクが彼の3巻にわたるハイネ作品集の前書きに述べたように、その後何度も繰り返された[13]。しかしナチス時代の教科書や詩集を分析しても、この主張を裏付ける証拠は見つかっていない[14][15]

日本では1909年に近藤朔風ほか編『女声唱歌』の中で、近藤の訳詩により「ロオレライ」の題で発表され、歌い続けられている[16][17]

参考文献

脚注

外部リンク

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