ヴァイナモイネン (海防戦艦)
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冬戦争
クリクトン・ヴルカン社で建造[2]。1929年10月15日起工[1]。1930年12月20日進水[1]。1932年9月29日に引き渡され、1933年12月31日に沿岸艦隊に配備された[1]。
1935年、キール訪問[3]。1937年、ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加[3]。「ヴァイナモイネン」は航洋性が低く、この時スウェーデン海防戦艦「ドロットニング・ヴィクトリア」に曳航されてイギリスへ向かった、という話があるが、事実ではないようである[4]。帰路ではコペンハーゲンに寄港している[5]。1939年、「イルマリネン」とともにストックホルムを訪問[6]。
1939年11月30日に冬戦争が始まると「ヴァイナモイネン」と「イルマリネン」は最初はオーランド諸島防衛に向かい、海が氷結する時期になるとトゥルクへ移って同地の防空に従事した[7]。2隻は戦争中何度か空襲を受け、「イルマリネン」では被害も出ている[8]。1940年3月、戦争終結。
継続戦争

1941年6月に再び戦争が始まる(継続戦争)。「ヴァイナモイネン」と「イルマリネン」は7月4日、12日、14日、9月2日にハンコに対する艦砲射撃を実施した[10]。
1941年9月、「ヴァイナモイネン」と「イルマリネン」はノルトヴィント作戦に参加した[11]。これはドイツ軍によるヒーウマー島、サーレマー島上陸作戦の欺瞞作戦で、艦隊によって上陸場所の逆方向に敵を誘致しようというものであった[12]。この作戦中に「イルマリネン」が沈んだ[13]。
1942年から1943年はフィンランド湾で対潜作戦支援や機雷原防衛に従事した[14]。
1944年7月12日、コトカで爆撃を受けたが被弾なし[15]。その4日後、ソ連軍は132機による攻撃を実施し、「ヴァイナモイネン」と誤認したドイツ浮砲台「ニオベ」を撃沈した[15]。
ソ連へ
戦後、「ヴァイナモイネン」は賠償として2億6500万マルッカでソ連に売却された[15]。1947年3月1日にソ連に引き渡し[15]。4月5日に沿岸装甲艦(Броненосец береговой)に類別され、4月24日に「ヴィボルグ(Выборг)」と改名された[16]。「ヴィボルグ」は6月7日にポルッカラ海軍基地に着き、第104沿岸戦隊に編入された[16]。1949年2月16日、海洋モニター(морской монитор)に類別変更[16]。
1953年から1957年にかけてタリンで改装が行われ、主機の新型への換装や航海用レーダー「ネプテューン」の搭載などがなされた[16]。1954年2月25日にはタリン港内で岩礁に触れて船体を損傷している[16]。その後は移動砲台として使用され、1959年11月1日に予備艦隊に編入[16]。フィンランドへの売却計画もあったが実現には至らず、1966年2月25日に解体業者へ引き渡された[16]。


