ヴァスヴァールの和約 (1664年)
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ヴァスヴァールの和約(ヴァズヴァールのわやく、Peace of Vasvár)またはヴァスヴァール条約は、聖ゴットハルトの戦い後にハプスブルク帝国とオスマン帝国との間で結ばれた条約で、これによりオスマン・ハプスブルク戦争が終結した[1][2]。1683年までの約20年間にわたり表面上の平和をもたらしたが、 国境付近の小競り合いは頻発し最終的には全面戦争となる大トルコ戦争につながった。
条約の署名時点で、ハプスブルク軍は比較的有利な立場にあったため、交渉の主導権を持つことができた。神聖ローマ皇帝レオポルト1世はフランスに対抗するため、早期の和平を望んでいた[3]。しかし、帝国内の派閥、特にクロアチア人やハンガリー人たちは、この機に乗じてオスマン帝国に支配されていた自分たちの領土を取り返したいと考えた。クロアチア貴族であるズリンスキ家とフランコパン家は、この条約があまりにオスマン帝国に譲歩していると考えていた。戦争中に開放したばかりの領土をオスマン帝国に返還しなければならなかったからである。こうして内部で不和が起き始めると、やがてクロアチア貴族やハンガリー貴族がラーコーツィ・フェレンツ1世に率いられ反乱を起こすまでに至った。
条約によって、トランシルヴァニアとウイヴァル(ノヴェー・ザームキ)に対するオスマン帝国の影響が強まり、両国は贈り物としてお互いに金銭的な貢納も行った[4]。 これは、フランソワ1世時代のフランス以来のことであった。神聖ローマ帝国やイタリアの重要な地域が脅かされていたことも、ハプスブルク家の決定に影響した。オーストリアにとっては小規模な譲歩で西側の問題から目を逸らすことができた上、オスマン帝国内での経済的な利権を確保することもできた[5][6]。