ヴァレンティン・コージン

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ヴァレンティン・ヴァシリエヴィチ・コージンロシア語: Валентин Васильевич Кожин, ラテン文字転写: Valentin Vasilyevich Kozhin1943年12月24日 レニングラード - 1992年11月1日 モンジュロン)はソビエト連邦出身のフランス指揮者、オペラ演出家、作曲家

1943年に包囲下のレニングラードに生まれる。1961年にグリンカ記念レニングラード合唱学校を優秀な成績で卒業する。続いてレニングラード音楽院コンスタンティン・オリホフロシア語版に合唱指揮を学び1968年に卒業する。この間、1962年から1965年までペトロザヴォーツクで兵役に就いている。1968年から1972年にかけてレニングラード音楽院でセルゲイ・スロニムスキーのクラスで合唱指揮と作曲を学ぶ。1972年から1973年までレニングラード国立歌劇場(レニングラード・マールイ劇場、現在のミハイロフスキー劇場)で合唱指揮者を務めた。

1972年から1976年までモスクワ音楽院に籍を置きゲンナジー・ロジェストヴェンスキーにオペラ・交響楽指揮を学ぶ。1974年から1975年の間はモスクワ放送交響楽団でロジェストヴェンスキーのアシスタント指揮者を務め、1974年には病気のロジェストヴェンスキーの代理としてストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団アメリカ合衆国ツアーに帯同し成功を収めている。1975年から1977年までスヴェルドロフスク・フィルハーモニー交響楽団ロシア語版の首席指揮者として活動し、1976年、モスクワで開催された全ソ指揮者コンクールでヴァレリー・ゲルギエフと共に1位を獲得した。

1977年に古巣のレニングラード国立歌劇場の音楽監督・首席指揮者に就任し、ショスタコーヴィチ作曲の映画音楽『司祭とその下男バルダの物語ロシア語版』に基づくバレエの上演(1982年)など数々の功績を残した。しかし、1989年11月、レニングラード国立歌劇場のフランス公演の際、ソビエト連邦への帰国を拒否しフランスに留まった。

1990年から1992年にかけてフランス放送フィルハーモニー管弦楽団サル・プレイエル)、フランス国立管弦楽団シャンゼリゼ劇場)といったパリのオーケストラを指揮するとともに、リールモンペリエリヨントゥールーズストラスブールなどのフランスの地方都市、ミラノバーゼルリエージュブエノスアイレスモンテビデオなどフランス国外でも指揮活動を続けた。1992年コンセール・ラムルーの首席指揮者に就任し[1]、新たな活躍が期待されたが同年11月1日、胃癌のため急逝した。

作曲家としては『声と管弦楽のための5つの歌』(1975年)などの作品を遺している。

主な録音

  • ショスタコーヴィチ:『司祭とその下男バルダの物語』(1982年録音、メロディア
  • スロニムスキー:オペラ・バレエ『メアリー・スチュアート』(1983年録音、メロディア)

主な受賞

脚注

外部リンク

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