モンジュロン
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| Montgeron | |
|---|---|
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| 行政 | |
| 国 |
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| 地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
| 県 (département) | エソンヌ県 |
| 郡 (arrondissement) | エヴリー郡 |
| 小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
| INSEEコード | 91421 |
| 郵便番号 | 91230 |
| 市長(任期) |
ジェラール・エロー (2001年-2008年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération Sénart Val de Seine |
| 人口動態 | |
| 人口 |
22 859人 (2009年) |
| 人口密度 | 人/km2 |
| 住民の呼称 | Montgeronnais[1] |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯48度42分14秒 東経2度27分38秒 / 北緯48.7039052度 東経2.4605083度座標: 北緯48度42分14秒 東経2度27分38秒 / 北緯48.7039052度 東経2.4605083度 |
| 標高 |
平均:m 最低:31 m 最高:88 m |
| 面積 | 11.22km2 (1 122ha) |
| 公式サイト | http://www.montgeron.fr/ |
モンジュロン (Montgeron)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、エソンヌ県のコミューン。
セナールの森をのぞむ、イエール川とセーヌ川の間の2つの谷の間に位置する。ルイ13世時代に王室の狩場となり、19世紀にはパリのブルジョワ階級の余暇地となり、高名な画家クロード・モネやエドガー・ドガも訪れた。
由来
歴史


セナールの森からは、先史時代の火打石であろう多面体が発見されているので、同時代からの人の定住が証明されている。
この地について言及されたのはルイ7世時代の1147年頃である。12世紀、この土地の北にハンセン病患者の病院がつくられ、1604年まで使われた。この建物は1630年に礼拝所となった。1510年、この土地はドルー・ド・ビュデ家の領地となった。1535年、サン=ジャックとサン=クリストフに捧げられた教区教会ができた。1652年にフロンドの乱においてフロンド軍が通過した際、村は荒らされた。
1723年、ハンセン病患者墓地が、村の墓地となった。1798年まで教区教会として使われることになる礼拝堂が建てられた。1775年、プロヴァンス伯爵ルイがモンジュロンにあったシャトーを購入した。セナールの森は王室の狩猟地となった。1754年、1779年の2回、大通りがつくられた。この大通りはヴィルヌーヴ=サン=ジョルジュ村とブリュノワ村の中心へ至る道路への転用が許され、小さなナヴェット川を渡るための橋もかけられた。
19世紀以降、パリとの往来が容易なモンジュロン村は、ブルジョワ階級や芸術家たちの余暇地となった。エクトール・アンリ・マロ、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、ホセ・マリア・エレディア、ルコント・ド・リール、ジャン=ポール・ローラン、ギュスターヴ・ギヨーム、ポール・ブランらが訪れた。1856年に教区教会が再建された。1875年、モンジュロン駅が開業した。1890年、劇作家リュドヴィク・アレヴィはモンジュロンに移り住み、アルベール・バルトロムやエドガー・ドガを迎えている。
モンジュロンは、1903年に初めて開催されたツール・ド・フランス第一ステージのスタート地点となっている[4]。
ガーデンシティ
第一次世界大戦後、モンジュロンは1923年にエルミタージュ地区、セドル地区、デュメ地区といった住宅地をつくり都市化を進めた。1933年にはシャトー区内にガーデンシティをつくった[5]。
20世紀に住宅団地が人気を呼び、低所得者層向け集合住宅が建てられ、急速に都市化が進み、1世紀の間に人口は10倍となって、コミューンは高級住宅地とバンリューの組み合わされたまちに転換された。