ヴィオラ・スミス
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| ヴィオラ・スミス | |
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1930年1月、シュミッツ・シスターズ・オーケストラでのヴィオラ・スミス(中央) | |
| 基本情報 | |
| 原語名 | Viola Smith |
| 出生名 | Viola Schmitz |
| 生誕 | 1912年11月29日[1] |
| 出身地 |
マウント・カルバリー、 ウィスコンシン州 |
| 死没 |
2020年10月21日(107歳没) コスタメサ、 カリフォルニア州, |
| ジャンル | ビッグバンド・ジャズ、スウィング・ジャズ |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | ドラムス |
| 活動期間 | 1920年代 - 2019年[2] |
ヴィオラ[注釈 1]・クララ・スミス(Viola Clara Smith、 旧姓シュミッツ:Schmitz、1912年11月29日[4] - 2020年10月21日[4])は、アメリカの合衆国のドラマー。1920年代から1975年にかけてオーケストラ、スウィングバンド、ポピュラー音楽の分野で活躍したことで知られる。最初期のプロの女性ドラマーの一人であり、女性ドラマーとしては世界最長寿で、2020年10月に107歳で没した[1]。『エド・サリヴァン・ショー』に5回出演したほか、2本の映画およびブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』にも出演した。
キャリア
1920年代から1930年代にかけて、ヴィオラは父親がウィスコンシン州で結成した「シュミッツ・シスターズ・ファミリー・オーケストラ」(のちに「スミス・シスターズ・オーケストラ」)で演奏した[8][注釈 2]。
メンバー:
- アイリーン(シュミッツ)アブラー Irene (Schmitz) Abler - トロンボーン
- アーマ・シュミッツ Erma Schmitz - ヴィブラフォン
- エドウィナ・シュミッツ Edwina Schmitz - トランペット
- ヴィオラ・シュミッツ Viola Schmitz - ドラム
- ライラ・シュミッツ Lila Schmitz - サクソフォーン
- ミルドレッド(シュミッツ)バータッシュ Mildred (Schmitz) Bartash - ベース・ヴァイオリン
- ロレッタ(シュミッツ)ローア Loretta (Schmitz) Loehr - ピアノ
- サリー(シュミッツ)エレンバック Sally (Schmitz) Ellenback - バス・サクソフォン
一部の姉妹がまだ在学中だった時期にも、週末や夏休みを利用してラジオ=キース=オーフィウム(RKO)のヴォードヴィルおよび映画館を巡業した[10]。甥のデニス・バータッシュによれば、1930年代にラジオ番組「メジャー・ボウズ・アマチュア・アワー」に姉妹とともに出演したことが大きな転機となったという[7]。1938年にはヴィオラとミルドレッドが女性だけのオーケストラ「ザ・コケッツ」を結成し、1942年まで活動した[11]。ミルドレッド・バータッシュはクラリネットとサクソフォンを演奏した[7]。
1942年、ヴィオラは音楽誌『ダウン・ビート』に「女性音楽家にチャンスを!」(Give Girl Musicians a Break!)と題した記事を寄稿し、女性音楽家も男性と同様に優れた演奏ができると主張した[12]。記事の中で彼女は「国家的な非常時にあって、有名バンドの花形奏者たちの多くが徴兵されている。凡庸な演奏者で代替するくらいなら、この国の優れた女性音楽家たちにその席を譲ってはどうだろうか」と論じた[12]。

世界最速の女性ドラマー
1942年、ミルドレッドが結婚した後、ヴィオラはニューヨークへ移り、師のひとりであるビリー・グラッドストーンから手作りのスネアドラムを贈られ、ジュリアード音楽院の夏期奨学金を得てティンパニを学び[6]、商業的に成功を収めていた女性のみのオーケストラ「フィル・スピタルニーのアワー・オブ・チャーム・オーケストラ」に加入した[8][10]。のちにNBC交響楽団でも演奏している[4]。
13個のドラムを用いる彼女の特徴的なスタイルのなかでもとりわけ目立つ、肩の高さで左右に配置した2つの16インチ・タムタムは誰にも真似されなかったが、ヴィオラによれば、2つのバスドラムの使用法を開拓したとされているルイ・ベルソンは、彼女に会ってそのタムタムの演奏を観察した後、2台のバスドラムを使うようになったという[13]。
この時期、ヴィオラはナショナル交響楽団の一員として映画『ジョニーが凱旋するとき』(When Johnny Comes Marching Home)および『ヒア・カム・ザ・コー・エッズ』(Here Come the Co-Eds)の音楽を録音し[10][14]、エラ・フィッツジェラルドやチック・ウェッブとも共演した[14][1]。
「世界最速の女性ドラマー[15][16]」として名声を得たヴィオラは、2014年に発行された『Women Drummers』の著者である作家のアンジェラ・スミスから、「女性版ジーン・クルーパ」と呼ばれていたヴィオラに対し「むしろジーン・クルーパこそが男性版ヴィオラ・スミスだと広く認知してもらいたい」と伝えた[17]。その後ヴィオラ自身も「ジーン・クルーパは"男性版ヴィオラ・スミス"だ」と語るようになった[18]。1949年にはハリー・トルーマン大統領の就任式で演奏し、1954年までアワー・オブ・チャーム・オーケストラに在籍した[14]。
「アワー・オブ・チャーム」解散後、スミスは自身のバンド「ヴィオラ・アンド・ハー・セヴンティーン・ドラムス」を率いた。1966年から1970年にかけては、1960年代のブロードウェイ初演版ミュージカル『キャバレー』に参加していた「キット・カット・バンド」で演奏した[1]。
2013年11月10日発行の音楽誌『アレグロ』第113巻第10号では、「スウィングの100年 - グルーヴを失うな!(A Century of Swing 'Never lose your groove!')」と題した記事でスミスが特集された[19]。
私生活と晩年
評価
1940年には『ビルボード』誌2月24日号の表紙にドラムセットとともに登場するほどの名声を得ており[27]、ラディック(WFL)、ジルジャンとエンドース契約をしていた[28]。ヴィオラが100歳になったときにラディックは「Viola Smith Day」を制定した[29]。
アメリカの打楽器芸術協会(Percussive Arts Society)は「女性ドラマーの真のパイオニアは、ヴィオラ・スミスかもしれない」とし、デイムの称号を持つパーカッショニストであるエヴェリン・グレニーは、ヴィオラを「驚くほど長いキャリアを通じて、信じられないほどの功績を残した、革新的で影響力のあるアメリカのドラマー」と評した[30]。
ヴィオラが亡くなったとき、オルタナティヴ・ロックバンド、オートラックスのメンバーであり、ジャック・ホワイト のバンドでも演奏しているカーラ・アザールは、Instagramに「私にとってヴィオラは(そして今も)、最も純粋な形でのフェミニズムの体現者でした。言葉ではなく、自らの仕事と忍耐によって、疑いようのない平等を証明したのです。しかも、それを世界で最も力強い楽器で成し遂げました。」と投稿した[4]。
『Modern Drummer』誌は2003年4月号でヴィオラを特集している[27]。
出演
映画
- When Johnny Comes Marching Home (1942)[5]
- Here Come the Co-Eds (1945)[5]
テレビ
- I've Got a Secret (CBS)[31]
- エド・サリヴァン・ショー (CBS) – five occasions[32][33]