ヴィムティエ
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ヴィムティエ (Vimoutiers)は、フランス、ノルマンディー地域圏、オルヌ県のコミューン。
| Vimoutiers | |
|---|---|
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| 行政 | |
| 国 |
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| 地域圏 (Région) |
ノルマンディー地域圏 |
| 県 (département) |
オルヌ県 |
| 郡 (arrondissement) | アルジャンタン郡 |
| 小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
| INSEEコード | 61508 |
| 郵便番号 | 61120 |
| 市長(任期) |
ギィ・ロマン[1] (2014年-2020年) |
| 自治体間連合 (fr) | Pays du Camembert |
| 人口動態 | |
| 人口 |
3 569人 (2013年) |
| 人口密度 | 221人/km2 |
| 住民の呼称 | Vimonastériens |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯48度55分39秒 東経0度11分52秒 |
| 標高 |
平均:m 最低:92 m 最高:236 m |
| 面積 | 16.15km2 |
| 公式サイト | www.vimoutiers.fr |
地理
由来
コミューンの名称は最初ラテン語の形態をもって1025年にVimonasterium、1027年と1035年にin Vivo Monasterio、1071年頃Winmusterium、その後ロマンス語のつづりとなりWestmostier、1175年頃Viumostier(読みはWimostier)、1198年にはWimost[ier]であったことが証明されている[3]。
この名称は-moutierという要素で構成されている。古いフランス語のmostierからきており、monstierは時に修道院(monastère)を表すが、しかし時には教会を意味している。最初のVi-はヴィ川か、可能性が低いがラテン語から生まれたvicus(village、村落)のどちらかを意味する[4]。
歴史
ブルターニュ公アラン3世は1040年10月1日にヴィムティエで毒殺されている。
ジュミエージュ修道院が、市場を含めた権利を持っていた。そのためにイエモワ子爵ロジェ1世・ド・モンゴムリと修道院は対立することになった。
1830年、ヴィムティエは南西を接するポン・ド・ヴィと合併した。
第二次世界大戦中のノルマンディーの戦いで、ヴィムティエの町は1944年6月14日アメリカの爆撃によってほぼ完全に破壊された(唯一残ったのは教会だった)。200人の死者が出た[5] · [6] · [7]。ヴィムティエは武装親衛隊第2SS機甲師団(en)の後方基地となっており、ファレーズ・ポケットの戦いで連合国側について戦うポーランド軍第1機甲師団(fr)がカウンター攻撃を仕掛けた。
ヴィムティエが解放されたのは1944年8月22日、オルメル山にてシャンボワの戦いが終わった後、カナダ軍によってであった。オルメル山にはノルマンディーの戦いの記念碑がたち、人々が訪れる。
人口統計
姉妹都市
出身者
- シャルロット・コルデー(フランス革命期のジャン=ポール・マラー殺害者。美貌で知られる貧乏貴族女性) - ヴィムティエ近郊サン=サチュルナン=デ=リニュリ (Saint-Saturnin-des-Ligneries) 生まれ
- ジョゼフ・ラニエル(政治家)