ヴィラーゴ (駆逐艦)
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| HMS ヴィラーゴ | |
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タイン川に停泊中の「ヴィラーゴ」 (1943年10月撮影) | |
| 基本情報 | |
| 建造所 | スワン・ハンター |
| 運用者 |
|
| 級名 | V級駆逐艦 |
| 艦歴 | |
| 起工 | 1942年2月16日 |
| 進水 | 1943年2月4日 |
| 就役 | 1943年11月5日 |
| 退役 | 1963年 |
| 除籍後 | 1963年にスクラップとして売却 |
| 要目 | |
| 満載排水量 | 1,710 トン |
| 全長 | 110.56 m |
| 最大幅 | 10.91 m |
| 吃水 | 3.05 m |
| 機関 | 蒸気タービン、2軸推進 40,000 shp |
| 最大速力 | 37.56ノット |
| 航続距離 |
4,070海里 20ノット時 |
| 乗員 | 士官、兵員180名 |
| 兵装 |
45口径12cm単装砲×4基 56口径40mm連装機銃×2基 70口径20mm連装機銃×6基 Mk IX 21インチ(53.3cm)4連装魚雷発射管×2基 爆雷投射機×4基 爆雷×70発 |
| レーダー |
291型 早期警戒用 276型 目標捕捉用 285型 射撃指揮用 |
| ソナー |
144型 捜索用 147型 攻撃用 (後日装備) |
| 電子戦・ 対抗手段 | 短波方向探知機 (HF/DF) |
| その他 |
ペナント・ナンバー:R75 (竣工時) F76 (15型フリゲートに改装後) |
ヴィラーゴ (HMS Virago, R75/F76) は、イギリス海軍の駆逐艦。V級。艦名のヴィラーゴ(Virago)は「口やかましい女、女傑、女戦士」という意味の名詞に由来し、「ヴィラーゴ」の名を持つ艦としては4代目にあたる[1]。
北極海の戦い
「ヴィラーゴ」はタイン・アンド・ウィアのスワン・ハンター社で1942年2月16日に起工、1943年2月4日進水、1943年11月5日に艦長アーチボルド・ジョン・ラムゼー・ホワイト少佐の指揮の下で就役した。
スカパ・フローでの錬成訓練の後、「ヴィラーゴ」は本国艦隊第26駆逐艦戦隊に配属された。配属後は1944年にかけて北極海を行く援ソ船団の護衛に従事し、JW55A船団船団、RA55A船団、JW55B船団、JW56A船団、JW56B船団船団の護衛を実施した。
そしてJW55B船団の護衛として参加していた「ヴィラーゴ」は、1943年12月26日に北岬沖海戦に参加。「ヴィラーゴ」は他の駆逐艦と共に、戦艦「デューク・オブ・ヨーク」らとの砲戦で酷く損傷したドイツ海軍の戦艦「シャルンホルスト」に接近し魚雷を発射、ついに「シャルンホルスト」を撃沈した[2]。
1944年4月にはJW58船団、RA58船団、RA59船団の護衛を行うと共に、タングステン作戦に参加。「ヴィラーゴ」は戦艦「ティルピッツ」を攻撃する空母「ヴィクトリアス」、「フューリアス」、護衛空母「サーチャー」、「エンペラー」、「パーシュアー」、「フェンサー」、戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、「アンソン」らからなる機動部隊を護衛した。
ノルマンディー上陸作戦
1944年6月に「ヴィラーゴ」はノルマンディー上陸作戦に参加、6月6日の上陸初日に「ヴィラーゴ」は、ソードビーチへ向かう揚陸指揮艦「ラーグス」、3隻の歩兵揚陸艇(LSI)、1隻の上陸支援艇などからなるS70W船団を駆逐艦「ヴェルラム」、「ケルヴィン」、「エグリントン」そして5隻の高速魚雷艇(MTB)と共に護衛。上陸後は地上部隊への支援砲撃や上陸船団の警戒に従事した[2]。
8月に「ヴィラーゴ」はモルデ地域への航空機による機雷敷設を行う空母「インディファティガブル」、護衛空母「ネイボブ」、「トランペッター」などを護衛(オフスプリング作戦)。
9月から10月にかけて「ヴィラーゴ」は再び援ソ船団の護衛に従事し、JW60船団、RA60船団を戦艦「ロドニー」、護衛空母「カンパニア」、「ストライカー」らと護衛した。その後極東への配備が決まった「ヴィラーゴ」は12月に第26駆逐艦戦隊の僚艦と共にインド洋へ向かった。
極東
1945年に入ると、「ヴィラーゴ」を含む第26駆逐艦戦隊は東インド諸島艦隊に配属となりインド洋とビルマ沿岸で行動を始める。2月24日にマラッカ海峡周辺の航空写真偵察を行う護衛空母「エンプレス」と「アミール」を軽巡洋艦「ケニア」らと護衛した(ステーシー作戦)。
3月26日、「ヴィラーゴ」と旗艦「ソーマレズ」、「ヴォラージ」、「ヴィジラント」の4隻は輸送船「天塩丸」(397t、日本海洋漁業統制)及び「利水丸」(914t、捕獲船:元英海軍特設哨戒艇「Lipis」)の2隻と護衛の「第三十四号駆潜艇」、「第六十三号駆潜艇」からなる日本の船団を攻撃し全滅させた(オンボード作戦)[3][4][5]。
以降、「ヴィラーゴ」らは4月から5月にかけてビルマ沿岸での支援や友軍艦艇の護衛を実施。一連の活動にはラングーンへの上陸援護(ドラキュラ作戦)、第21空母戦隊の4隻の護衛空母(「ハンター」、「ストーカー」、「エンペラー」、「ケディーヴ」)と戦艦「クイーン・エリザベス」、フランス海軍の「リシュリュー」らによるビルマ沿岸への空襲(サンフィッシュ作戦)、ビルマ周辺の日本の船団に対する捜索・攻撃(ミトラ作戦)などが含まれる。
5月16日の夜、マンリー・ロレンス・パワー大佐率いる第26駆逐艦戦隊は、アンダマン諸島へ物資を輸送中の重巡洋艦「羽黒」と駆逐艦「神風」をマレー半島ペナン島沖において捕捉。旗艦「ソーマレズ」、「ヴォラージ」、「ヴィジラント」、「ヴィーナス」そして「ヴィラーゴ」の5隻は夜戦の末に羽黒を撃沈し神風に損傷を負わせた(ペナン沖海戦)[2]。
戦後
7月から8月にかけて「ヴィラーゴ」らはマレー半島への上陸作戦であるジッパー作戦の準備を行うが、作戦は日本が降伏したことで中止となった。
1945年9月に「ヴィラーゴ」はマレー半島の再占領任務に加わり、以降しばらくの間香港を拠点にする。同年12月11日にチャタムへ帰還し、翌1946年に地中海艦隊第3駆逐艦戦隊配備となる。1946年8月2日に「ヴィラーゴ」と「ヴィーナス」は、パレスチナのハイファで爆発・炎上の末沈没したタンカー「エンパイア・クロス」の救援活動に従事した[6]。「ヴィラーゴ」は1949年に本国へ帰還しチャタムで予備役に編入された。
「ヴィラーゴ」は1951年から1953年にかけて15型フリゲートに改修された。改装後は本国艦隊第6フリゲート戦隊に配属となり、1953年にはエリザベス2世女王の戴冠に伴う観艦式に参加している[7]。「ヴィラーゴ」は2年間活動した後再度予備役に編入された。1962年に第17フリゲート戦隊で短期間現役復帰するが、翌1963年に「ヴィラーゴ」は廃棄リストに載り、スクラップとしてブリティッシュ・アイアン・アンド・スチール・コーポレーション(BISCO)に売却、曳航された「ヴィラーゴ」は1965年6月4日にファスレーンの解体地へ到着した[2]。
栄典
ヴィラーゴは第二次世界大戦の戦功で5個の戦闘名誉章(Battle Honours)を受章した。
- Arctic 1943-44
- North Cape 1943
- Normandy 1944
- Malaya 1945
- Burma 1945