ソーマレズ (駆逐艦・2代)
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| HMS ソーマレズ | |
|---|---|
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「ソーマレズ」 (1943年7月) | |
| 基本情報 | |
| 建造所 | ニューカッスル・アポン・タイン・ヘブバーン、ホーソン・レスリー |
| 運用者 |
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| 級名 | S級駆逐艦 (2代) |
| 艦歴 | |
| 発注 | 1941年1月9日 |
| 起工 | 1941年9月8日 |
| 進水 | 1942年11月20日 |
| 就役 | 1943年7月1日 |
| 最期 |
1946年10月22日に触雷後、全損と判定され1950年9月8日にスクラップとして売却 1950年10月からチャールスタウンで解体 |
| 要目 | |
| 基準排水量 | 1,800トン |
| 満載排水量 | 2,330ロングトン(2,370トン) |
| 全長 | 363 ft (111 m) |
| 最大幅 | 35 ft (11 m) |
| 吃水 | 14 ft (4.3 m) |
| 主缶 | 海軍本部式三胴型重油専焼缶×2基 |
| 主機 | パーソンズ式ギヤード蒸気タービン×2基 |
| 出力 | 40,000 shp |
| 推進 | 2軸推進 |
| 速力 | 36ノット (67 km/h; 41 mph) |
| 燃料 | 重油615トン |
| 航続距離 |
4,675 nmi (8,658 km) 20ノット (37 km/h; 23 mph)時 |
| 乗員 | 225名 |
| 兵装 |
45口径4.7インチ砲 Mk IX(Mk XXII単装砲架)×4基 ボフォース 40mm連装機銃(ヘイズメイヤー式砲架)×1基 エリコン20mm単装機銃×4基 533mm四連装魚雷発射管×2基 爆雷投射機×4基 爆雷投下軌条×2基 爆雷×70発 |
| その他 | ペナント・ナンバー:G12 |
ソーマレズ (HMS Saumarez, G12) は、イギリス海軍の駆逐艦。S級の嚮導艦であり、基準排水量は姉妹艦より20トン増加していた。
艦名は、嚮導艦にイギリス海軍軍人の名を冠する慣例から初代ソーマレズ男爵ジェームズ・ソーマレズに由来し、イギリス海軍において同名の艦としては2代目にあたる[1]。
北極海
「ソーマレズ」は第5次戦時緊急計画に基づき、1941年1月9日にニューカッスル・アポン・タイン・ヘブバーンのホーソン・レスリーへ発注され、1941年9月8日に起工、1942年11月20日に進水した。砲や火器管制装置の設計・生産遅延により時間がかかったものの、1943年7月1日に就役した[2][3]。
建造中の1942年3月にはウォーシップ・ウィークのキャンペーンに参加し、トゥイッケナムの住民に割り当てられた[3]。
就役後、「ソーマレズ」は本国艦隊第3駆逐艦戦隊に配備され、7月下旬にハスキー作戦の陽動と戦艦「ティルピッツ」対策を兼ねたガバナー作戦に戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、「サウスダコタ」、空母「ユニコーン」などと参加した[2]。
8月、ケベック会談に臨む首相ウィンストン・チャーチルを乗せた輸送船「クイーン・メリー」を護衛(TA58船団)[2]。
「ソーマレズ」は第23駆逐艦戦隊へ移され、北極海をゆく援ソ船団を護衛した。「ソーマレズ」は10月23日にアイスランドのセイジスフィヨルズルから護衛艦の1隻として出航し、 ソ連海軍に貸与されたアドミラブル級掃海艇 5隻とSC-497級駆潜艇6隻をコラ湾まで導いた[2]。
さらに、「ソーマレズ」は13隻の商船からなるRA54A船団を護衛して11月1日にアルハンゲリスクを出航し11月13日から14日にかけて損失なくイギリスの港に到着した。「ソーマレズ」はその後も複数の船団を護衛し、それらも損失や損傷なしに到着させた[2]。
北岬沖海戦
12月22日、RA55A船団は、「ソーマレズ」を含む8隻の駆逐艦、2隻のカナダ海軍駆逐艦、3隻のコルベット、掃海艇の護衛を受けてコラ湾を出航した。往航船団であるJW55B船団は12月20日にユー湖を出航し、RA55A船団とほぼ同時期であるクリスマスの日にビュルネイ島へ到着する予定だった。船団は、ビュルネイ島の東側で軽巡洋艦「ベルファスト」、「シェフィールド」、重巡洋艦「ノーフォーク」、そして戦艦「デューク・オブ・ヨーク」および軽巡洋艦「ジャマイカ」によって厳重な護衛が行われた。
諜報機関はエニグマ暗号解読によって、戦艦「シャルンホルスト」が出撃しているという事実を海軍本部に警告し、12月25日早朝には連合軍艦艇にその情報を知らせた。「シャルンホルスト」は巡洋艦に発見され、数時間後、巡洋艦を回避して船団を攻撃しようとした。しかし、「シャルンホルスト」は「デューク・オブ・ヨーク」に迎撃され、長い追跡が続いた。

その後の交戦で「ソーマレズ」の主砲は11分間連続射撃を行い、さらに魚雷攻撃も行われた。交戦中、「ソーマレズ」には「シャルンホルスト」からの砲弾が命中した。砲弾は爆発しなかったが、射撃指揮装置を貫通して11名が死亡し、射撃指揮装置は機能を失った。至近弾により機関の強制潤滑システムも損傷した。「デューク・オブ・ヨーク」と巡洋艦は、最初の遭遇から3時間後に「シャルンホルスト」を沈めた。4隻の駆逐艦、「ソーマレズ」、「サヴェージ」、「スコーピオン」、「ストルド」(ノルウェー海軍)は「シャルンホルスト」に対して少なくとも3発の命中弾を得た。
「ソーマレズ」は1軸推進でムルマンスクに向かい、ソ連による応急修理の後、イギリス本国に向けて出発した。1944年3月に修理が完了した後、彼女は再び援ソ船団JW58船団とRA59船団の護衛を務め、どちらも無傷で目的地に到着させた(JW58船団と併せて、タングステン作戦として艦隊航空隊による戦艦「ティルピッツ」に対する空襲も行われた)[2]。
ノルマンディー
1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦では、「ソーマレズ」は戦艦「ウォースパイト」、「ラミリーズ」、重巡洋艦「フロビッシャー」、軽巡洋艦「モーリシャス」、「アリシューザ」、「ダナイー」、「ドラゴン」(ポーランド海軍)などを護衛[2]。
「ソーマレズ」は第23駆逐艦戦隊の旗艦であり、上陸当日にウィストレアムへの攻撃で東部任務部隊S部隊の一部として艦砲射撃による火力支援を提供した。「ソーマレズ」と駆逐艦「オンズロー」は、8月14日にガーンジー島のセント・ピーター・ポート沖で3~4隻の掃海艇と1隻の商船からなる船団と交戦した。船団に対して頻繁に命中弾を与えたが、交戦で両艦とも軽微な損傷と死傷者を出した。
9月、「ソーマレズ」は北極海でJW60船団とRA60船団を護衛した。10月にはハーディー作戦(護衛空母「トランペッター」、「カンパニア」によるノルウェー沖の機雷敷設と船舶掃討)、11月にはJW61船団の護衛と、プロヴィデント作戦 (空母「インプラカブル」、護衛空母「パーシュアー」、「プレミア」によるノルウェー沖の船舶掃討)に参加した[2][3]。
1945年11月から1月までタインで改装され、その後東インド艦隊第26駆逐艦戦隊に加わった[3]。
極東
1945年1月初旬、「ソーマレズ」と駆逐艦「ヴィジラント」、「ヴィラーゴ」、は空母「フォーミダブル」と合流し、アレクサンドリアからコロンボまで護衛するためクライドを出発した。「ソーマレズ」は3月10日にトリンコマリーへ到着した[3]。
3月11日、「ソーマレズ」は駆逐艦「ヴォラージ」および「ラピッド」とともに第70部隊を編成し、アンダマン諸島での掃討に参加した。彼らはスチュワート入り江でジャンク船を発見して破壊したが、「ラピッド」と「ヴォラージ」は15cm沿岸砲の命中により損傷と死傷者を被った(トランスポート作戦)。
3月25日、「ソーマレズ」、「ヴィジラント」、「ヴォラージ」、「ヴィラーゴ」は更なる掃討のため出撃。翌3月26日に日本の輸送船団が発見され、交戦した。駆逐艦は砲撃と魚雷で攻撃したが、命中は少なく、弾薬が不足していたため、リベレーター爆撃機2機に敵を沈めるよう求めた。そのうちの1機は 輸送船「利水丸」(914トン、捕獲船:元英海軍特設哨戒艇「リピス」)を沈めた。「ヴォラージ」はもう一隻の輸送船「天塩丸」(397トン、日本海洋漁業統制)を砲撃で沈めた。護衛の「第三十四号駆潜艇」および「第六十三号駆潜艇」も撃沈された(オンボード作戦)。
「ソーマレズ」は4月に戦艦「クイーン・エリザベス」と「リシュリュー」(フランス海軍)を中心とする第63部隊に所属し、スウェッテナム港周辺の写真偵察とスマトラ島北部への攻撃に参加した(サンフィッシュ作戦)[3]。
「ソーマレズ」は1945年4月から5月までラングーン占領を企図したドラキュラ作戦に参加し、第21空母戦隊の護衛を務めた。5月3日にはカー・ニコバルとポートブレア攻撃に参加(ビショップ作戦)[3]。
ペナン沖海戦
その後、5月10日にシンガポールから出航したと報告された日本海軍部隊を攻撃するために行われたデュークダム作戦に参加する。この時、「ソーマレズ」は新たに編成された第61部隊の一員だった。第十方面艦隊第五戦隊の「羽黒」と駆逐艦「神風」は5月15日早く、護衛空母「エンペラー」のアベンジャー雷撃機が2隻を目撃した。「ソーマレズ」、「ヴェルラム」、「ヴィジラント」、「ヴィーナス」、「ヴィラーゴ」はミトラ作戦として迎撃のため分離された。「ソーマレズ」のマンリー・ロレンス・パワー大佐に率いられた5隻は、5月16日早くに「羽黒」、「神風」両艦を攻撃した。「ソーマレズ」は「羽黒」からの砲弾が命中したものの、第26駆逐艦戦隊からの魚雷に圧倒された「羽黒」は、午前2時32分にペナン島南西約55マイル北緯4度49分 東経99度42分 / 北緯4.817度 東経99.700度で沈没した[4]。「神風」は損傷したが脱出した。
戦後
「ソーマレズ」は1945年6月から8月にかけてダーバンで改装された。9月2日に日本は正式に降伏したが、西マラヤ占領(ジッパー作戦)はほぼ予定通りに実施された。「ソーマレズ」は作戦を護衛した15隻の駆逐艦のうちの1隻だった。第26駆逐艦戦隊は11月17日にコロンボの東インド諸島司令部を出発し、12月初旬に本国に到着した。「ソーマレズ」は修理と地中海における任務の準備のためにプリマスへ向かった。
1946年3月初旬、「ソーマレズ」は地中海艦隊第3駆逐艦戦隊に配属されるため、地中海に向けて出航した。6月、「ソーマレズ」はパレスチナへ向かう不法移民382名を乗せたカイークを拿捕し、 ハイファまで曳航した。7月31日には、ハイファ沖で500名の移民を乗せたヨット「ホチェラガ」を確保した。
コルフ海峡事件
1946年9月26日、「ソーマレズ」は他の24隻の艦艇とともに地中海巡行に出た。第1巡洋艦戦隊の一部がコルフ海峡を南から北へ通過するよう命じられた。10月22日、軽巡洋艦「モーリシャス」と「リアンダー」、駆逐艦「ヴォラージ」に続いて「ソーマレズ」がメドリ海峡を通過した。「ソーマレズ」は14時53分に機雷に触れ、深刻な損傷と死者30名を出した。「ソーマレズ」の副長テディ・ゲリッツが率いるダメージコントロール班は、その活動によって死傷者を最小限に抑えた[5][6]。「ヴォラージ」は「ソーマレズ」を曳航するために接近したが、幾ばくかの困難の末に艦首を通過し、「ソーマレズ」の艦尾を前にして曳航を開始した。機雷の爆発で顎を骨折していたにもかかわらず、「ソーマレズ」の通信士官ジョン・エドモンドソンが曳索の固定を手伝った[7]。しかし、16時6分に今度は「ヴォラージ」付近で機雷が爆発し、艦首部が大破した。それでも「ヴォラージ」を「ソーマレズ」に再接続することができ、両艦はどちらも艦尾を前に進みながら、10月23日3時10分にコルフ島へ到着した。
その後、「ソーマレズ」はマルタ島に移送され、1950年9月までそこに留まった。調査の結果、修理は経済的に見合わないと判断され、1948年2月に「ソーマレズ」の廃棄が承認された。1950年8月23日、「ソーマレズ」の艦体はジブラルタルに到着した[8]。イギリス本国に曳航後、1950年9月8日にブリティッシュ・アイアン・アンド・スチール・コーポレーション(BISCO)によりスクラップとして売却され、曳航された「ソーマレズ」の艦体は1950年10月に解体地であるチャールスタウンへ到着した[3]。