ヴィルヘルム・オーネゾルゲ

ドイツの政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia

カール・ヴィルヘルム・オーネゾルゲ(Karl Wilhelm Ohnesorge、1872年6月8日 - 1962年2月1日)は、ドイツ国の政治家。工学者アドルフ・ヒトラー国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権において郵政大臣を務めた。

生年月日 1872年6月8日
出生地 ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国 ザクセンアンハルトグレーフェンハイニッヒェンドイツ語版
没年月日 (1962-02-01) 1962年2月1日(89歳没)
概要 生年月日, 出生地 ...
ヴィルヘルム・オーネゾルゲ
Wilhelm Ohnesorge
生年月日 1872年6月8日
出生地 ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国 ザクセンアンハルトグレーフェンハイニッヒェンドイツ語版
没年月日 (1962-02-01) 1962年2月1日(89歳没)
死没地 西ドイツの旗 西ドイツ
バイエルン州の旗 バイエルン州 ミュンヘン
前職 帝国郵便総監
所属政党 国家社会主義ドイツ労働者党
称号 黄金ナチ党員バッジ
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
第6代 郵政大臣
内閣 ヒトラー内閣
在任期間 1937年2月2日 - 1945年4月30日
総統 アドルフ・ヒトラー
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来歴

生涯

オーネゾルゲ(中央背広の人物、1937年)

1872年プロイセン王国ザクセンアンハルトグレーフェンハイニッヒェンドイツ語版に電信官の息子として生まれる。1890年に郵便局に就職し、フランクフルト・アム・マイン支局に配属される。勤務の合間にキールベルリンで物理学を学び、工学博士号を取得。第一次世界大戦では出征せず、ドイツ軍大本営の郵便主任を務め、戦後は民族主義団体ドイツ民族防衛同盟ドイツ語版に加入する[1]

1920年国家社会主義ドイツ労働者党に入党(党員番号42)。間もなく党首アドルフ・ヒトラーの友人となり、黄金ナチ党員バッジを授与されている。また、同時期にドルトムントにナチ党支部を設立するため尽力した。

1929年帝国郵便総監に就任し、1933年に帝国郵便から郵政省に移り、ナチ党に反抗的だった郵政大臣パウル・フォン・エルツ=リューベナッハに代わり次官として省内を取り仕切った。1937年にエルツ=リューベナッハが反ナチ党姿勢を理由に解任され、後任として郵政大臣に就任した。1942年にヒトラーから25万ライヒスマルクを寄付された[2]

1945年、敗戦後は逮捕されバイエルン州非ナチ化裁判にかけられ財産を没収されたが、重い罪には科せられなかった。後に判決は撤回され年金の支給が認められたが、財産は返金されなかった。

1962年2月1日、ミュンヘンで死去。

研究・開発

オーネゾルゲは無線やテレビの研究・開発に興味を示し、1936年ハケブルクドイツ語版近郊の土地44ヘクタールを240万ライヒスマルクで購入し、研究所を創設した[3]。研究所はマクノーヴァー湖ドイツ語版周辺に設置され、ラジオテレビ技術やロケット技術を組み合わせた研究が行われ、第二次世界大戦終結まで研究は続けられた。

また、原子爆弾にも興味を示しており、管轄外にもかかわらず郵政省を指揮して研究を行い、ヒトラーに「ウラン・プロジェクト」と称した原爆開発計画を数度に渡り進言した[4]。「ウラン・プロジェクト」ではマンフレート・フォン・アルデンヌを中心に、電磁質量分離器の開発を進めるべきと主張している[5]

脚注

参考文献

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