ヴィルヘルム・プリュショー

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ヴィルヘルム・プリュショー、ヴィルヘルム・フォン・グレーデン撮影、1890年頃

ヴィルヘルム・プリュショーWilhelm Plüschow[1], 1852年8月18日 - 1930年1月30日)は、ドイツの写真家。イタリアを活動拠点とし、青少年のヌード写真を撮影したことで知られる。その作風は従弟で同じく写真家のヴィルヘルム・フォン・グレーデン男爵のそれと酷似しており、しばしばグレーデンの作品と間違われる。

ドイツ・メクレンブルク=シュヴェリーン大公国ヴィスマールに、同国の上級森林監督官を務めるフリードリヒ・プリュショー(1808年 - 1879年)とその妻のシャルロッテ・クルル(1831年 - 1892年)の間の息子として生まれる。7人兄弟の最年長の長男であった。父はメクレンブルク=シュヴェリーン大公世子フリードリヒ・ルートヴィヒの庶子であり、甥の大公フリードリヒ・フランツ2世の宮廷に仕える官僚だった。またヴィルヘルム・フォン・グレーデン男爵は従弟(母の異父兄の息子)、飛行家のギュンター・プリュショーは甥である。

1870年頃にローマに移り、好んでイタリア風に「グッリェルモ・プリュショーGuglielmo Plüschow)」と称した。最初はワインの販売業者として生計を立てていたが、すぐにプロのヌード写真家に転身し、その後はナポリに移る。カプリ島ヴィラ・リシスに隠棲するフランス人貴族ジャック・ダデルスワル=フェルサン男爵の撮影依頼を受け、フェルサンの同性の恋人ニノ・チェサリーニ(Nino Cesarini)を撮影した一連の写真が有名である。

プリュショーはヴィンチェンツォ・ガルディという少年をモデル、恋人としており、ガルディは後に写真家となった。1902年、プリュショーは未成年を誘惑した罪で逮捕され、8ヶ月間の刑務所生活を送った。1907年にも同様のスキャンダルを起こし、1910年にはイタリアから追放され、故国ドイツのベルリンに暮らした。

作品

脚注

参考文献

外部リンク

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