ヴィンフリート・クレッチュマン
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| ヴィンフリート・クレッチュマン Winfried Kretschmann | |
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ヴィンフリート・クレッチュマン | |
| 生年月日 | 1948年5月5日(77歳) |
| 出生地 |
シュパイヒンゲン |
| 出身校 | ホーヘンハイム大学 |
| 所属政党 | 同盟90/緑の党 |
| 配偶者 | ゲアリンデ・クレッチュマン |
| 公式サイト | „Fünf Dinge, die mich geprägt haben.“ |
| 在任期間 | 2011年5月12日 - |
| 在任期間 | 2012年11月1日 - 2013年10月31日 |
ヴィンフリート・クレッチュマン(Winfried Kretschmann 、1948年5月5日 - )は、ドイツの政治家。同盟90/緑の党に所属。
2011年からバーデン=ヴュルテンベルク州首相を務めている。緑の党の出身者が州首相に就任したのは、彼が初めてであり、現時点では唯一の例である。なお、2012年から1年間、連邦参議院議長も務めたが、緑の党出身者がこの職を務めたのは、彼が唯一の例である[1]。
出生から大学卒業まで
クレッチュマンは、当時フランス占領地区のヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン州シュパイヒンゲン(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州)で、東プロイセンのヴァルミア(ドイツ語名 エルムラント)から移住してきた両親[2]から生まれた。彼はジグマリンゲンにあるカトリック系の寄宿制の学校に入り、アビトゥーアを取得した。兵役を終えた後、彼はシュトゥットガルトのホーヘンハイム大学で、生物学、化学及び倫理の教職課程を学び、1977年に大学を卒業した。大学在学中の1973年から1975年にかけては、毛沢東主義を掲げる西ドイツ共産主義者同盟の活動家であり[3]、加入戦術で共産主義者から緑の党の政治家に転じたKグルッペの一員であった[4]。
教師から政治家へ
ジグマリンゲンの学校で3年間教師として働いた後、1979年からは緑の党のバーデン=ヴュルテンベルク州支部で活動するようになり、1980年には同州の州議会議員に当選し、1983年から1984年には党の州議会議員団長を務めた。その後1985年から2年間、ヘッセン州でヨシュカ・フィッシャー州環境相の下で働いた。1988年にはバーデン・ヴュルテンベルク州に戻り州議会議員に返り咲いたものの、1992年の選挙では落選。4年間再び教師として働いた後、1996年に返り咲いてからは州議会議員の地位を守ってきた。2002年から2011年には再び党の州議会議員団長を務めた。
2011年 州首相に就任
2011年3月のバーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙では、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)が第1党となったものの、138議席中60議席(9議席減)、同党と連立を組んでいた自由民主党 (FDP)が7議席(8議席減)の獲得にとどまり、両党での連立継続は不可能となった。
一方、福島第一原子力発電所事故の直後の選挙で、ドイツの原子力発電所17基中4基がある同州においては、原発政策も争点となったこともあり、脱原発を訴えてきた緑の党は36議席(19議席増)で第2党と躍進した。また、ドイツ社会民主党(SPD)は35議席(3議席減)で第3党となった[5]。この結果、緑の党・SPDの2党による「赤緑連立」が成立し、2011年5月12日から緑の党出身者として初めて州首相となった。なお、緑の党が首班となる「赤緑連立」はこれが初めての例である[6]。
2016年 州首相に再選
2016年3月のバーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙において、緑の党は143議席中47議席(13議席増)を獲得し、第1党となった[7]。しかし、連立を組んでいたSPDは19議席(16議席減)にとどまり、両党での連立継続は不可能となった。
このためクレッチュマンは、両党に加えて第5党で12議席(5議席増)を持つFDPとの「信号機連立[8]」を呼びかけたが、FDPがこれを拒絶したため、第2党で42議席(18議席減)となったCDUとの2党による「黒緑連立」に踏み切り、同年5月に州首相に再選された。
なお、緑の党が首班となる「黒緑連立」はこれが初めての例である[9]。