一の坂川
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歴史
室町時代に大内氏が一の坂川を京の鴨川に見立てて街割りをしたといわれており、山口が西の京といわれる所以となっている。左岸の竪小路エリアには現在も当時の町並みが多く残る。
1971年8月6日、台風19号による豪雨により氾濫。後河原一帯で95戸が床上浸水した。氾濫個所は、一の坂川を管理する県により河川改修が計画されていたが、風致保存を望む地元からの意見との間で論議があり工事の着工が見送られていた[1]。これを受け、県は一の坂川の整備方法を再検討、護岸工法をホタルの生息に配慮した雑割石空積護岸工(通称「ホタル護岸」)を採用した[2]上で、上流部の山口市上天花に1984年(昭和59年)に治水ダム(一の坂ダム)を建設した。
流域の自治体
- 山口県
- 山口市
河川施設
- 一の坂ダム(山口県山口市、錦鶏湖)


