一ノ関史郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 国籍 日本生誕 (1944-01-24) 1944年1月24日(82歳)秋田県南秋田郡八郎潟町国 日本競技重量挙げ一ノ関 史郎個人情報国籍 日本生誕 (1944-01-24) 1944年1月24日(82歳)秋田県南秋田郡八郎潟町 スポーツ国 日本競技重量挙げ 獲得メダル 重量挙げ 銅1964バンタム級 一ノ関 史郎(いちのせき しろう、1944年1月24日[1] - )は、日本の重量挙げ選手。1964年東京オリンピック銅メダリスト。 1944年1月24日、秋田県南秋田郡八郎潟町出身[1]。中学生の頃に重量挙げを始める[2]。秋田短期大学附属高等学校(現・ノースアジア大学明桜高等学校)3年時にインターハイ優勝[3]、秋田国体少年の部にて準優勝。法政大学に進学し、3年生の時に行われた1964年東京オリンピックにバンタム級の代表として出場[4]。日本勢のメダル第1号となる銅メダルを獲得する[4]。 大学卒業後は秋田県の職員となり[4]、1968年メキシコオリンピック出場[4]。しかし直前の練習中に腰を痛め、その影響から5位に終わる[4]。 現役引退後は書道家となり[4]、雅号「清山」を名乗る[5]。2006年には読売書法展にて入選。 出典 1 2 “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]しつけ厳しかった父”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。 ↑ “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]遊び半分で重量挙げ”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。 ↑ “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]高3で全国を初制覇”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。 1 2 3 4 5 6 “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]人生の「金メダル」を”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。 ↑ “バーベルを筆に、人生の挑戦は続く 64年東京五輪重量挙げ「銅」の一ノ関さん”. 47NEWS. 2025年8月17日閲覧。 参考文献 この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2025年8月) 「アングル 書通じ後輩にエール」秋田魁新報 2006年10月23日付夕刊1面 Related Articles