一乗院 (雲仙市)
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位置
北緯32度40分39.0秒 東経130度08分39.7秒 / 北緯32.677500度 東経130.144361度座標: 北緯32度40分39.0秒 東経130度08分39.7秒 / 北緯32.677500度 東経130.144361度
山号
温泉山
宗旨
真言宗
| 一乗院(いちじょういん) | |
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| 所在地 | 長崎県雲仙市南串山町丙9218 |
| 位置 | 北緯32度40分39.0秒 東経130度08分39.7秒 / 北緯32.677500度 東経130.144361度座標: 北緯32度40分39.0秒 東経130度08分39.7秒 / 北緯32.677500度 東経130.144361度 |
| 山号 | 温泉山 |
| 宗旨 | 真言宗 |
| 宗派 | 真言宗御室派 |
| 本尊 | 大日如来 |
| 創建年 | 大宝元年(701年) |
| 開基 | 行基菩薩 |
| 中興年 | 寛永十七年(1640年) |
| 中興 | 弘宥和尚 |
| 正式名 | 真言宗御室派 温泉山 一乗院 |
| 公式サイト | 温泉山 一乗院 |
| 法人番号 | 5310005004638 |
- 最盛期は瀬戸石原に三百坊、別所に七百坊を有していた。[3]
- 778年(宝亀9年) 火災により焼失、再建。
- 931年(承平元年) 火災により焼失、仮堂により再建。
- 1571年(元亀2年) 白雀の乱が勃発し焼失。仮院にて法灯を継承す。[4]
- 1637年(寛永14年) 島原の乱により、堂字すべてを焼失。
- 1640年(寛永17年) 島原藩主となった高力忠房(摂津守)公の命を受け、遠州浜松鴨江寺より招聘された当山中興弘宥和尚が、「温泉山満明寺一乗院」として復興。[5]
- 1680年(延宝8年) 7月27日、二世宥誉法印代には、高力隆長公にかわって深溝松平家より、松平忠房(主殿頭)公が島原藩主となり正式に「温泉山一乗院」として認可される。
- 松平家の家紋である「重ね扇」から扇を一枚取った「一重扇の丸に横一」の寺紋を賜る。紋としては珍しい十本骨の扇。[6]
- さらに、寺宝「磬子」を授けられ正式に島原藩の祈願所となる。(『温泉山起立書』)[5]

- 1693年(元禄6年)松平忠房公により当山鎮守四面宮(現、温泉神社)とあわせて改築され、後に釈迦堂と護摩堂を建立。
- 1869年(明治2年) 神仏分離令により当山鎮守四面宮を分離、筑紫国魂神社となる。廃仏毀釈の法難の為、温泉(うんぜん)より南串山の歓喜庵(現、一乗院)に本坊を移転。
- これにより温泉山一乗院本坊は、現在の南串山に定まり、雲仙は飛地境内となり一乗院釈迦堂として法灯を灯すことになる。
- これにより、大宝元年行基菩薩開山以来、温泉山(うんぜんざん)と記されてきた霊峰雲仙の称号は雲仙の地を離れ、南串山の温泉山一乗院の山号としてのみ、その名を残す。
年間行事
- 1月21日: 初大師・初護摩供法会
- 2月3日: 節分星祭り祈祷会
- 3月: 春季彼岸大法会
- 8月第一日曜日: お施餓鬼・盂蘭盆会法要
- 9月: 秋季彼岸大法会
- 11月最終日曜日 : 宗祖弘法大師御影供法会
- 12月21日: 納め大師・納め護摩供法会
月例行事
- 毎月28日 月並護摩供法会(但し、1月と12月は21日)
