一関市住職親子強盗殺人事件

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場所 日本の旗 日本岩手県一関市東山町田河津夏山
座標
北緯39度02分26.682秒 東経141度14分46.924秒 / 北緯39.04074500度 東経141.24636778度 / 39.04074500; 141.24636778座標: 北緯39度02分26.682秒 東経141度14分46.924秒 / 北緯39.04074500度 東経141.24636778度 / 39.04074500; 141.24636778
日付 2007年平成19年)6月11日20時30分ごろ[1] (UTC+9日本標準時〉)
概要 加害者の女Cが金銭強奪を目的として顔見知りの住職親子を殺害した[1]
一関市住職親子強盗殺人事件
場所 日本の旗 日本岩手県一関市東山町田河津夏山
座標
北緯39度02分26.682秒 東経141度14分46.924秒 / 北緯39.04074500度 東経141.24636778度 / 39.04074500; 141.24636778座標: 北緯39度02分26.682秒 東経141度14分46.924秒 / 北緯39.04074500度 東経141.24636778度 / 39.04074500; 141.24636778
日付 2007年平成19年)6月11日20時30分ごろ[1] (UTC+9日本標準時〉)
概要 加害者の女Cが金銭強奪を目的として顔見知りの住職親子を殺害した[1]
原因 借金を返済するため
攻撃手段 刃物で刺す[2]・灰皿で殴る[3]
攻撃側人数 1人
武器 刃体約23.5cmの包丁[4]・灰皿[3]
死亡者 2人[1](A1とA2)
犯人 女C・S(逮捕当時45歳・飲食店員[5]
容疑 強盗殺人罪
動機 借金返済
対処 岩手県警が被疑者Cを逮捕盛岡地検起訴
刑事訴訟 死刑[6](第一審判決 / 控訴[7]自殺[8][9]公訴棄却 [7]
影響 一関市教育委員会が事件発生から数日間、田河津小学校(現在は閉校・統合)に通う児童2人の安全通学を呼びかけた
管轄
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一関市住職親子強盗殺人事件(いちのせきしじゅうしょくおやこごうとうさつじんじけん)とは、2007年平成19年)6月11日岩手県一関市で発生した強盗殺人事件[1]

事件の経緯

本事件の加害者である女C・S[10](姓名のイニシャル、以下「C」と表記 / 逮捕当時45歳)は夫(1988年婚姻 / Cとの間に二児を儲ける[10][11])の父親が経営する会社が倒産し[5]、夫が仕事を転々としたため、生活費のために2000年頃からクレジットカード会社から借り入れをするようになった[5]2005年8月から夫やその両親に黙って債務を返済しようと、夫の叔母からの借入金200万で債務を一括返済した[5]。2005年9月には、夫が安定した仕事に就職して収入を得るようになり、C自身もラーメン店でパート勤務を続け収入を得ていた。稼動態度は非常に真面目であり、店長的な責任のある仕事を任されるほどであった[11]。家内においても家事や育児をこなし、本事件を起こす以前は犯罪とは無縁な生活を送っていた[11]。夫の親族らと共に6人で生活していたCは、自身の収入や夫の収入に加え、夫の両親の年金収入から固定資産税や冠婚葬祭の費用を賄い、生活費を補っていた[5]。しかし、2006年に夫の父親が肝臓癌で余命1年と宣告されたことで、Cは夫の父親の年金収入が得られなくなると危惧するようになり、2007年5月には、夫から「会社が倒産するかもしれない」と告げられ、家計が破綻するのではないかと不安に駆られる日々を送るようになった[5]。Cと夫は、パチンコへの浪費などが原因で1ヶ月で約10万円使うこともあり[12]消費者金融業者やクレジットカード会社から借金をし続けたが、パチンコをやめたり、節約をするなど家計の見直しを考えることはなく[12]、事件が発生した2007年6月時点で借入金額は225万円に達し、月々の消費者金融への返済金額は合計11万円程度であった。Cは家計が逼迫する前に借金を返済したいと考えるようになった[12]

2007年6月8日、他人から金銭を脅し取って、借金返済に充てようと考えたCは、勤務先のラーメン店から刃渡り約23.5cmの包丁を持ち出した[4]2007年6月11日夜、Cは2週間前に一関市東山町田河津の遠應寺で父親の墓参りをした際に[注 1]、被害者A1(当時81歳 / A2の実母)[13]が自分に話しかけてくれたことを思い出し、被害者A2(当時59歳 / 同寺住職)[13]がパチンコを趣味としていて金銭を所持していると思えること、A1とA2の2人暮らしであることなどから寺に強盗に入り、2人を殺害することを決意した[4]。Cは事前にA1に「相談がある」と電話を掛けて、寺に行くことを伝え、訪問客を装うために手土産としてフルーツゼリーを購入して、前述の包丁と手袋を入れた手提げ鞄を持ち、頭髪が遺留しないよう頭にバンダナを巻いて寺を訪問した[4]

強盗・殺害

2007年6月11日午後8時30分頃、Cは寺の庫裏の居間でA1、A2と共にこたつを囲みながら借金の話をしていたが[14]、A1が席を離れた直後に突然手提げ鞄から包丁を取り出してA2の腕を掴んで引き寄せ、殺意を持ってA2の前胸部を包丁で刺した。A2は深さ約13cmもの傷を負い、倒れ込んだ[15]。その後Cは、部屋にあった灰皿を戻ってきたA1の後頭部に複数回振り下ろし、逃げ回るA1を執拗に追いかけ回した[15]。負傷しながらも反撃をするA2をCは叩き払い[15]、必死に逃げるA1の前に回り込んで、殺意を持って抵抗するA1の首や胸、背中を繰り返し包丁で刺して、左総頚動脈・椎骨動脈等損傷による失血により死亡させて殺害した(強盗殺人罪[15]。A2は胸への刺突行為で瀕死状態にもかかわらず最後の力を振り絞り、受話器に手を伸ばそうとしていたが、それを発見したCは受話器を取り上げ、とどめとして再びA2の左側胸部を突き刺して、A2を肝刺創による出血性ショックで死亡させて殺害した(強盗殺人罪[15]

Cは2人を殺害後、右手指に怪我をして出血していることに気づき、その場にあった輪ゴム止血した[16]。その後Cは、持参した手袋をつけて物色を始め、A1又はA2が所有していた現金約15万円を強取した[3]。Cは、瀕死状態のA2が居間から西側に続く八畳間の部屋に移動していることに気づいたため、視界に入らないようにA2に長座布団を掛けた。右手指から出血が続いていたCは、血液から自身の犯行が発覚することを恐れて、「他人の血液と混合すれば血液の鑑別ができなくなるのではないか」と考えて、A1の体から流れ出てきた血だまりに手袋を浸した[16]。犯行後、Cは事件現場から逃走し離れた場所で衣服を着替えた。しかし、指紋が遺留して犯行が発覚する可能性を案じたCは、再び犯行現場に戻って指紋を拭き取ったり、素手で触った受話器やA1を殴った灰皿を持ち出したりした。一連の犯行に使用した包丁は北上川に捨てた[17]

事件発生後の経過

  • 2007年6月12日午後6時45分頃には被害者宅に隣人の男性が回覧板を届けたが、家から応答はなく、玄関は無施錠だった。
  • 2007年6月14日午前8時過ぎ、A2の知人の僧侶2人がA1とA2の遺体を発見した。
  • 2007年6月15日岩手県警捜査一課の司法解剖によりA1とA2の死因が特定される。
  • 2007年12月5日、岩手県警がCを本事件の被疑者として強盗殺人容疑で逮捕した[18]
    • Cは逮捕されるまでの約半年間、パチンコをするなど犯行以前と同じ生活を送り[17]、警察がDNA捜査の資料を集めているのを察知すると、捜査から逃れるために他人のDNAを警察に提出しようと、他県に出かけて街頭調査を装って第三者の唾液を採取し、捜査機関に提出していた[17]
  • 2007年12月7日、Cと接見した弁護士が報道陣の取材に応じ、C自身以外の借金が約2000万円あったことを明かした[19]
  • 2007年12月26日盛岡地検がCを強盗殺人罪で盛岡地裁に起訴した[20]

刑事裁判

脚注

参考文献

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