公訴棄却
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公訴棄却(こうそききゃく)とは、刑事訴訟における手続打切り制度の一種。日本の刑事訴訟法では、第338条及び第339条に定められている。
公訴棄却の判決(刑事訴訟法第338条)
公訴棄却の判決により裁判が終結した事件
※括弧内は事件発生年。
- チッソ川本事件(1972年) - 水俣病被害者支援団体の代表が、チッソ社の従業員に対して怪我を負わせた傷害事件で、1975年1月13日に東京地裁は罰金5万円(執行猶予1年)の有罪としたが、1977年6月14日に東京高裁は公訴権の濫用を認め、公訴棄却の判決を言い渡した[1]。これに対し検察が上告し、1980年12月17日、最高裁は起訴が無効になるのは、「公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものというべきである」と判示して、公訴権の濫用は認めなかったものの、被告人自身が水俣病の被害者であるなどの特異な背景事情を挙げ、公訴棄却の結論は維持した[2][3]。
- 豊田2人刺殺事件(1995年) - 名古屋地裁岡崎支部が「被告人は病気で訴訟能力がない」という弁護人の主張を認めて公判を停止し、後に公訴棄却の判決[4]。検察が控訴したところ、控訴審(名古屋高裁)では破棄差戻し判決が言い渡されたが[5]、最高裁は控訴審判決を破棄して第一審の判決を支持したため、公訴棄却の判決が確定[6]。
- ソマリア沖商船三井タンカー襲撃事件(2011年) - 被告人4人のうち1人が起訴後、事件当時は未成年者だった可能性が浮上した[注 1]ことから、東京地裁(村山浩昭裁判長)は少年法の手続きを経ていないことを理由に、公訴棄却の判決を言い渡した[8]。この被告人はその後、東京家裁への送致および逆送致を経て[9]、犯行時少年として改めて起訴され[7]、懲役11年の刑を言い渡されている[10][11]。
公訴棄却の決定により裁判が終結した事件
- 炭鉱国管疑獄(1947年 - 1948年) - 被告人:庄忠人。1952年6月19日に東京地裁で懲役8月(執行猶予1年)の判決を受け、控訴していたが、控訴中に死亡したため、公訴棄却の決定がなされた[12]。
- 三無事件(1961年) - 被告人:川南豊作。福岡地裁にて第一審の審理中、被告人が死亡したため公訴棄却決定。
- 千日デパートビル火災事件(1972年) - 業務上過失致死傷罪で起訴されていたデパート管理部次長が、第一審係属中に死亡したため、1977年6月30日に公訴棄却の決定がなされた。
- 別府3億円保険金殺人事件(1974年) - 被告人:荒木虎美。最高裁への上告中、被告人が死亡したため公訴棄却決定[13]。
- ロッキード事件(1976年) - 田中角栄・大久保利春・橋本登美三郎(最高裁への上告中)・小佐野賢治(東京高裁への控訴中)の4被告人。いずれも被告人死亡のため公訴棄却決定。
- 福岡連続保険金殺人事件(1978年)[14] - 被告人として男女4人が福岡地裁へ起訴されたが、女1人は第一審係属中の1980年3月23日に福岡拘置支所[注 2]で死亡し[16]、公訴棄却となった[17]。
- 福山市一家3人殺害事件(1988年) - 第一審(広島地裁福山支部)および控訴審(広島高裁)でそれぞれ死刑判決を受け、上告していた被告人が死亡したため公訴棄却決定[18]。
- 岩手県種市町妻子5人殺害事件(1989年) - 控訴審(仙台高裁)で死刑判決を受け、上告していた被告人が死亡したため公訴棄却決定[19]。
- 宮崎県官製談合事件(2006年) - 安藤忠恕。最高裁への上告中、被告人死亡のため公訴棄却決定[20]。
- 三浦和義による窃盗事件(2007年) - 被告人として窃盗罪で起訴されていた三浦(1981年のロサンゼルス銃撃事件で逮捕)が2008年10月に死亡したため、横浜地裁小田原支部(山田和則裁判長)は2008年12月15日付で同事件の公訴棄却を決定[21]。
- 一関市住職親子強盗殺人事件(2007年) - 第一審・(盛岡地裁)で死刑判決を受け、仙台高裁に控訴していた被告人が宮城刑務所・仙台拘置支所で自殺したため公訴棄却決定[22]。
- 鹿児島高齢夫婦殺害事件(2009年) - 第一審・鹿児島地裁(裁判員裁判)で無罪判決(求刑:死刑)を受けた被告人[23]。検察側が福岡高裁宮崎支部へ控訴していたが[24]、被告人が死亡したため公訴棄却決定[23]。
- 加藤暠(2012年) - 金融商品取引法違反事件で起訴されていたが、2016年12月26日に病死し、公訴棄却となった[25]。