生まれながら慧敏()にして、異能の持ち主であった。45歳までに家蔵の書籍をすべて読破し、独学を主として古学に従い、広く経史に通じ、もっとも明代の掌故()に詳しかった。康熙17年(1678年)に博学鴻詞科に推薦されたが、官職には就かなかった。のちに布衣(庶民)の身分で史局に参加し、『明史稿』500巻を自力で完成した。また、尚書であった徐乾学のために『読礼通考』200余巻を編纂した。その性格は営利を尊ばず、学友・弟子には、ただ読書を勧めて学問をするよう励まし、互いに切歯琢磨することを望んだ。65歳で世を去ったときに、門人たちは貞文先生と諡した。