万波高原
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地質
歴史・文化
鎌倉時代の寺領争いから江戸時代を経て1967(昭和42)年まで続く国境(県境)争いの舞台となった場所である。正確には昭和の県境争いは流域を異にする大長谷川(おおながたにがわ)の源流にあたる原山本谷(金山平とも言う)の北端に限る争議である。ただし江戸時代の争いは金山平と万波高原を含む広大な領地の所有を巡る争いであった。
1674(延宝2)年に江戸幕府の裁定により飛騨金森藩と越中加賀藩の国境が確定したので富山側から見て真南(マミナミ)と呼ばれていたのを万波(マンナミ)と呼ぶようになった。江戸時代は天領であり飛騨国小鷹狩郷12ヶ村の入会地であったが明治になり国有林と飛騨3郡の郡有地となった。
1893(明治26)年に正式に許可を得て個人の開墾・入植が始まり1939(昭和14)年まで住家が存在した。最盛期には82世帯が暮らしていた。開拓当初に神社が建立されたが現在でもその石段と小社は残っている。1910(明治43)年から1939(昭和14)年まで坂下小学校(現在は廃校で飛騨市立宮川小学校の学区)の分教場(分校)があった。[3][4]
1918(大正7)年2月に朝日新聞をはじめ全国紙に豪雪により全集落300余名が餓死したとの報道がなされたが誤報である。
交通
観光
- 万波神社
- 小白木峰・白木峰万波登山口