丈雪通酔
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万暦38年(1610年)、四川省資県(今内江市)東郷蘇家橋(現在の内江市東興区蘇家郷)の生まれ。父李梅、母姚氏。幼少期から聡明で、5歳で古字山の清然禅师(胞叔)のもとで出家得度し、仏教経典や儒教経典を学んだ。20歳の時、白雲洞の鑒隨和尚のもとで具足戒を受ける。
25歳の時、梁山県(今梁平区)の双桂堂で臨済宗の高僧・破山海明に師事した。ある日、破山海明と蟠龍洞白兔亭の瀑布を訪れた際、破山海明が「划断苍崖倒碧岑,紛紛珠玉対誰傾。擬将鉢袋横攔住,只恐蟠龍丈雪冰」との偈を詠み、その中から「丈雪」の号を授けられた。このエピソードは、丈雪の清冽な悟りの境地を象徴するものとして伝えられる。
27歳では浙江省鄞県の天童寺に赴き、密雲圓悟禅师に参じた。ある日、丈雪通酔が太白頂に柴を運んでいると、竹の棒で足を打撲し、血が地面に飛び散った。丈雪通酔は密雲円悟が普請梆を打ち、椎の急な声が鋭く響くのを聞いて、香厳高僧が竹を打つ意趣に合致し、豁然と大悟した。密雲円悟に参拝して偈を呈し、「両脚行來古路平、全身棒眼血淋淋。而今只識牛與馬、鼻孔分明搭上唇。」と述べた。崇禎15年(1642年)、密雲円悟が坐化し、丈雪通酔は四川省に戻って破山海明のもとへ帰り、印可を得てその法脈を継承した。
明末清初の戦乱(張献忠の乱など)の中、丈雪通酔は四川省・貴州省・陕西省一帯を芒鞋と棕笠で巡り、20年以上にわたり禅法を広めた。この時期、「草衣木食(草木を衣食とし)艰苦を嘗めた」と記され、民衆の苦難に向き合いながら布教を続けた。丈雪通酔は遵義雪居寺、沙灘禹門寺、漢中静明寺、嘉興青蓮庵、保寧草堂寺、資県般若寺と成都昭覚寺の7つの寺院に住んでいる。特に1663年、荒廃した昭覚寺を再建し、禅の中心道場として甦らせた。この再建は「蛇火の語に符し」(予言を実現した)と称えられ、西南地域の仏教復興に大きく貢献した。